Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

日本のどっかに勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

本の紹介(7); 『日本軍兵士ーアジア・太平洋戦争の現実』

 今日は久しぶりに、読んだ本の紹介をしてみたいと思います。

『日本軍兵士ーアジア・太平洋戦争の現実』著者; 吉田裕, 中公新書

 歴史の授業やテレビ番組等で、アジア太平洋戦争のことは様々な観点で扱われています。この本は、実際に前線に立った兵士らのレベルでの史実をまとめた上で、(詳細は後述しますが)餓死・PTSD(『トラウマ』とも呼ばれる)に陥った背景なども紹介しています。

 早速ですが、この本に出てくる史実の中から、私が個人的に衝撃を受けた(ないし強い関心を持った)ものをいくつか紹介します。

 

(1) 日本軍軍人・軍属の戦没者のうち、37~61%が餓死者

 1937年の日中戦争から1945年にかけて、約230万人の日本軍の軍人・軍属が死亡しています。その内餓死者がどれくらい居るかという研究が行われ、61%(140万人)という説と、37%という説があります。なおいずれの数値も『内外の戦史に類を見ない異常な高率』と専門家から指摘されています。

 ではその原因は何なのか?日本軍が制海権・制空権を次々と喪失し、その結果補給路がボロボロになったからです。1942年には軍需品の96%が前線に到着していましたが、1943年; 83%→1944年; 67%→1945年; 51%と低下を示しました。また、太平洋やビルマといった南方の戦場では、マラリア罹患と栄養失調の『ダブルパンチ』で体力が低下して食事・内服薬を経口摂取出来なくなり、最終的に死亡するという症例が多発していました。

 加えて、日中戦争中の1938年頃から、赤痢, マラリア, 結核等の疾患が背景に無いにも関わらず食欲不振, るいそう, 慢性的な下痢といった症状を呈して最終的に死亡する「戦争栄養失調症」が前線の兵士の間で見られるようになりました。戦時中、陸軍・海軍の専門家の間でも意見が別れていました。今日(終戦後)では、「摂食障害」・「拒食症」(すなわち神経性食欲不振症)ではないかと言われています。戦場でのストレスが発症に関与していたのです。

(2) 神風特攻隊の効果は限定的だった

 当初特攻隊は、1944年のレイテ沖海戦で米海軍の空母を一時的に使用不能にするための戦術でした。しかし陸海軍は米海軍の艦艇(特に、空母と戦艦)を撃沈する目的で特攻隊を頻用するようになりました。

 では特攻隊の実際の戦果はどうだったのでしょうか?この本で具体的な数字が出ていたので紹介します。

正規空母:  撃沈0, 撃破26

護衛空母(商船を改造して空母にしたもの。サイズも小さめ):  撃沈3, 撃破18

戦艦:  撃沈0, 撃破15

巡洋艦:  撃沈0, 撃破22

駆逐艦:  撃沈13, 撃破109

輸送船や上陸艇など:  撃沈31, 撃破219

特攻隊の死者:  海軍2,431名, 陸軍; 1,417名 (合計 3,848名)

4千名近い特攻隊戦死者に対して、最終的に47隻しか撃沈しておらず(主に撃沈されたのは小型艦艇)、大型艦は撃沈できていません。この原因としては、① レーダーを装備した駆逐艦を複数配備して早期に特攻隊の襲来を検知し、迎撃戦闘機を誘導した, ② 目標に接近したら自動的に爆発する信管を対空砲弾に装備していた, ③ 重い爆弾のせいで特攻機の速度が落ちて、迎撃されやすかった, の3つが挙げられます。

 また、攻撃時に機体から爆弾を切り離し投下する方法では、爆弾の落下によって加速度が加わる分エネルギー(破壊力)が大きくなります。しかし特攻機の場合、爆弾は急降下する機体にくっついたままです。機体に揚力が生じてブレーキとなってしまう為、エネルギーが減じてしまうのです。

(3) ジュネーブ条約赤十字条約)を無視

 日本は日中戦争開戦前の1935年にジュネーブ条約を公布しています。その規定の中に「退却に際して、傷病兵を前線から後送することができない場合には、衛生要員をつけて、その場に残置し敵の保護に委ねることができる」という条文がありました。しかしノモンハン事件後、日本陸軍首脳部はソ連側から送還された捕虜に対し「軍法会議前に将校は自決させて名誉の戦死にする」・「負傷した下士官軍法会議で審理の上無罪, 負傷していない下士官軍法会議で敵前逃亡罪を適用する」という方針を打ち出します。その後1940年の『作戦要務令』では「退却の際して、傷病兵が敵の手に落ちないように努めること」という規定が出現し、翌年には陸軍大臣東條英機が『戦陣訓』を発表し、その中で「生きて虜囚の辱めを受けず」と命じました。つまり、ジュネーブ条約を無視して「自軍の傷病兵が敵の捕虜になるくらいなら、殺してしまえ(自殺させてしまえ)」という日本軍内部の独自ルールを作ってしまったのです。

 この独自ルールが、これ以降実行に移されたのは言うまでも無いでしょう。ガダルカナル島攻防戦から撤退する際、「歩けない傷病兵は残された火器・弾薬で敵へ抗戦し、敵が至近距離に来たら毒薬で自決せよ」という指令が出されていました。また、1945年のルソン島では、日本軍部隊の撤退時に衛生兵が兵站病院の歩行不能な傷病兵へ「熱の下がる薬だ」と偽って薬剤を注射し死亡させていた事例もあります。

(4) 増加した精神疾患(と覚醒剤乱用)

 日本軍内部では、下士官や古参兵が、初年兵ら後輩を肉体的・精神的に虐待する「私的制裁」(身体的な暴力を振るう, 食事は後輩に作らせ、しかも大半を古参兵・下士官が平らげてしまい後輩の分はあまり残らないetc.)という悪習が蔓延していました。また中国戦線では新参兵に縛った中国兵・中国市民を銃剣で刺殺させる『刺突訓練』が日常的に行われていました。それらに加え、度重なる戦闘により兵士らは常に強いストレスに曝されることになり、戦局が悪化するにつれてその傾向は尚更強まりました。その結果、日本本土に還送された傷病兵に占める精神疾患患者の割合が増大していったのです。

 代表的なものが、不眠, 失語, 自殺企図, ヒステリー性の痙攣発作, 夜驚といった様々な症状を呈する「戦争神経症です(今で言うPTSDも含まれていたのではないでしょうか?)。陸海軍共にこの疾患が将兵の間で多発している事は認識していましたが、「神経症」というフレーズをタブー視した指導部と軍医は『疲労』と見なした上で、覚醒剤メタンフェタミン)投与によって『疲労を回復させ』、前線の将兵に戦闘を継続させたのです。

 当局の公認の下大量生産された覚醒剤は、戦後民間に放出され(また前線で兵士に投与された結果)、敗戦直後から1950年代にかけて覚醒剤乱用者を多く生むことになりました。

 

 これら以外にも、教科書には載っていないような残酷な史実や、驚き呆れるような当時の日本政府・軍部の意思決定など、様々な知見が載っています。政治思想云々はともかく、まずは是非ご一読頂きたい1冊です。

『わいせつ行為』の嫌疑がかけられた乳腺外科医に無罪判決

 以前から、私も他の医療関係者同様、とある医療関連の刑事訴訟の行方が気になっていました。2016年5月、東京都内の病院で右胸腫瘍の摘出術を受けた女性(30歳代)が、『術後に男性主治医からわいせつ行為を受けた』と主張。警察が介入し男性医師は立件されました。

 事件は刑事裁判へ至り、男性医師側(弁護側)は「手術で使用した麻酔薬の影響で、せん妄が生じた。それで性的な幻覚が見えた」と主張しました。検察側も各種の証拠・証言を提示して対抗し懲役3年を求刑。最終的に裁判官は、検察側の示した証拠と、証人による証言に矛盾点があるとして無罪の判決を下しました。

 詳細な経緯は以下の記事に記載があるので是非ご一読を。

1. m3.comの記事

https://www.m3.com/news/iryoishin/660332

2. 江川紹子氏による記事

news.yahoo.co.jp

news.yahoo.co.jp

  この裁判で争点となったのは事件性の有無でした。その判定の為、主に次の2点が問題となったのです:  ①被害を主張する女性の発言の信用性と、術後せん妄の有無・程度, ②DNA型鑑定・アミラーゼ鑑定の信用性。

 はじめに、①について裁判所はどのように判断したのでしょうか。まず、女性患者本人が頻繁にナースコールを押したり、看護師へ『ぶっ殺す』と言った(女性本人に記憶はない。つまりせん妄の症状である)」とする医療スタッフ(他の医師や看護師)の証言を証拠として採用また同じく弁護側の証人となった精神腫瘍科医師・麻酔科医・乳腺外科医の証言は専門性と説得力があると評価しました。

 一方で、検察側の証人となった麻酔科医の証言に関しては「乳房手術とせん妄リスクについての証言が、過去の自身の共著論文と矛盾している」と指摘しました。更に、同じく検察側の証人である元科捜研の精神科医の「DNAが検出されており、せん妄で説明する必要がない」という証言は「結論を先取りしている」為証拠能力が乏しいと判断したのです。

 ②に関しては、科捜研のずさんな証拠・データ管理が問題なりました。1.試料やDNAの鑑定の為の検量線が破棄されており, 2.鑑定途中のワークシートを鉛筆で記入し、消しゴムで消して修正した跡が沢山ある ことが判明。裁判所は「検査者としての誠実さに疑念がある」・「基礎資料の作成方法としてふさわしくなく、職業意識が低い」と指摘した上で、科捜研の鑑定結果の信用性についての判断を保留する結果となりました。

 また、検察側の証人(元科捜研で米国の大学の研究員)は1.付着物のアミラーゼ活性が高いこと, 2.1人分のDNAが検出されたこと, 3.DNAの量が多いこと, から「男性外科医が女性患者の乳首を舐めた」と主張していました。これに対して弁護側も法医学の専門家の立会いで検証実験を行い、会話の時に飛んだ唾液の飛沫や、触診の際に付着した手の汗である可能性を主張。最終的に裁判所は弁護側検証実験の結果を採用しました。

 今回の問題点をまとめると、次の通りでしょう。

①一般市民(患者側)及び警察・検察が、せん妄という状態を知らなかった(理解していなかった)。

②警察の証拠管理がずさんだった(むしろ、立件・有罪判決に対して不利に働く要素を隠滅したのではないか?)。

 ①については、医療側から情報発信に努めるのはもちろんのこと、マスメディアにもっとこの事件に関し報道してもらい、周知を徹底させる事が肝要だと思います。他方、②に関しては、警察や検察の組織内の改革を進めてもらうしかないと思います。その為にはやはり、この事件の事実関係を報道を通して有権者に知ってもらい、警察・検察へ監視の目を向けさせる事が必要でしょう。

 また、福島県大野病院事件(産科医が周産期合併症による医療事故で逮捕されたが、最終的に無罪となった)や今回の事例のように、医療事故へ警察をいちいち介入させるのはいかがなものでしょうか。そもそも、警察官は人体、ましてや医学・医療に関する知識を十分に持ち合わせているとは思えません鑑識課の警官が死因不詳の死体や事件・事故現場で死体を調べることはあっても、最終的な診断を下すのは医師。また、このような死体の解剖を行うのは監察医や, 各大学医学部法医学講座の医師であって、警察官ではありません。ほぼド素人の警察官に任せるよりは、医療事故調査委員会のような、医学・医療の専門家で構成された第三者集団の方がよっぽど良いと考えているのは、私だけでしょうか。

厚労省がやっと認めた。「2036年でも医師は不足」

 数日ぶりに更新します。最近ネタ切れでしたが、今朝様々な意味で興味深いニュースを発見しました。

mainichi.jp

 厚労省は「医師の偏在を2036年までに解消する」という目標を以前より掲げていたのですが、その2036年になっても、2次医療圏(各都道府県をブロック分けしたもの)335地域のうち220で医師が不足する見通しであり、不足分を合計すると2万4千人になるのだそうです。3次医療圏(ほぼ都道府県単位)で見ても、新潟, 埼玉, 福島など12道県で計5,320人が不足する見通しとのこと。

 以前も本ブログで紹介したように(下記リンク参照)、これまで厚労省日本医師会, 全国医学部長病院長会議などと肩を並べ「少子高齢化の影響で、将来日本の人口は減少するので、医学部定員増員はもう必要ない(これ以上増やせば、将来医師が過剰となる)」と主張してきました。それが今回、突然趣旨の異なる『大本営発表』を行ったのです。背景は今のところ不明ですが、勤労統計不正の問題で厚労省安倍内閣への風当たりが強くなってしまったことから、これ以上野党に『あら捜し』をされて国会で突っ込まれ、ダメージを大きくする前に発表に踏み切ったのではないのか?と私は邪推しています(これって陰謀論ですか?笑)。

voiceofer.hatenablog.com

voiceofer.hatenablog.com

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※↓厚労省の勤労統計不正に関連した記事です

「官邸意向」を指示か。統計不正「真のキーマン」政治家の実名 (1/2)

追加給付、相談8万3000件=統計不正で-厚労省:時事ドットコム

 なお冒頭の記事によると、昨年4月に厚労省有識者検討会議がまとめた医師需要推計では「医師の残業時間の上限を過労死認定目安の月80時間(休日労働含む)」とすると、『2028年頃にはその時点で必要な医師数である34万9千人を満たす』と発表していました。今回の試算も、医師の労働時間等各種因子を考慮して算出したそうですが、①残業時間が過労死認定の目安である80時間のまま, ②診療科や地域によっては、年間2,000時間まで残業を認める厚労省試案(下記リンク参照)そのまま, で試算した結果かもしれません。よって、医師の残業時間を減らす(負担軽減)という条件で試算を行えば、不足している医師数が更に増える可能性は十分あると思います。

厚労省案「医師の残業時間は年間2000時間までOK」の影響を考察する - Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

 いずれにせよ、今後の事態の推移を尚更注意して見守る必要性は高いと考えます。

ヴェネズエラで何が起きているのか

www.huffingtonpost.jp

 ここ数日、ヴェネズエラがニュースの話題になっています(上記記事など)。以前からハイパーインフレで国内の経済状況が悪化し、避難民が隣国に押し寄せる状況が続いていました。しかし、現政権(マドゥロ)は退陣するどころか、昨年の大統領選で野党候補の立候補を妨害するなど、独裁体制維持になりふり構わぬ様子。一体何がどうなってこうなったのか?今回YouTubeで海外メディアの解説を目にしたのでまとめてみました。

 

①まずはアルジャジーラから

youtu.be

 現マドゥロ政権は、2013年に死去した前大統領ウゴ・チャヴェスの後継者的存在です。チャヴェスは1998年の大統領選挙で当選し、就任後は国内の貧困問題の解決に取り組みました。その際に、同じラテンアメリカにある社会主義国キューバを参考にして貧困層向けの医療保健システムや食料・進学支援といった政策を次々と打ち出しました。そしてこれらの政策の資金源(予算の大元)となったのが、豊富な石油資源でした。しかも、チャヴェスの就任当初1バレル7~9ドルだった石油価格は2004~05年に1バレル100ドルにまで上昇したので『ウハウハ(?)』だったのは言うまでも無いでしょう。

 当初、チャヴェスは石油資源に依存した経済から脱却し、産業の多様化を目指していました。石油価格の変動に国内経済が左右されるからです。例えば、輸入に依存している食料品の供給を改善する為に農地改革を行っています。しかし2006年以降、当時は潤沢だったオイルマネーを元手に石油会社や通信会社, 電気会社など多数の業界・企業を国有化する社会主義政策を進めた結果、益々国内経済の石油輸出への依存が強まることとなりました。また、こうした社会主義政策は国家予算の支出を増やし(それを補う為に外国から借金), 業務の煩雑さを増すといったデメリットを伴います。加えて、医薬品, 食料, 衣料品, 自動車といった生活必需品の大半を輸入に依存する態勢は改善されぬまま放置されてしまいます。

 そしてチャヴェズの死後の2014年、遂に危機が訪れます。石油価格が下落したのです。1,500億ドルもの対外債務を抱えていたヴェネズエラは、食料品や医薬品といった生活必需品を輸入できるだけのドルを確保できず、国内でこれらの物資が不足しました。また対外債務の負荷を少しでも減らす為、債権者との再交渉をヴェネズエラ政府は試みましたが、米国からの制裁の為困難を極めています。

 

BBCの解説

youtu.be

 この動画は米国とヴェネズエラの関係に注目しています。当初、両国は1.豊富な石油資源と, 2.東西冷戦(1962年のキューバ危機)の影響もあって友好関係を保っていました。特に1960~70年代には、石油採掘事業へ米国企業が参画して経済成長を達成。その過程で米国の文化や米国製品がヴェネズエラ社会に浸透していきます。その反面、貧富の格差はなかなか是正されることがありませんでした。

 そうした貧富の格差に対する不満を背景として1998年に誕生したのが、チャヴェス政権でした。社会主義志向とはいえ、当初チャヴェスは反米色をそこまで出すことはなく、米国側も新大統領就任を歓迎し『経過観察(?)』の姿勢を示しました。しかしながら、2002年のクーデター(48時間で終焉)を契機にチャヴェスは反米姿勢を鮮明にします。事実、このクーデターの計画をCIAは事前に察知しており、首謀者と接触すら行なっていました。チャヴェスは当時の米大統領ジョージ・W・ブッシュJr.を悪魔呼ばわりし、後任のオバマにも嫌悪感を丸出しにします。挙げ句の果てに、同じ反米国家であるキューバ, イラン, リビアカダフィ政権時代)といった国々と益々親交を深める有様でした。

 それでも両国は石油の取引を継続してましたが、これもチャヴェスの死後に『暗転』します。上述のように、後継者マドゥロになってから石油価格が下落し、それに伴うインフレや食糧不足といった危機が発生。すると米国はマドゥロを一連の危機を招いた独裁者と見なし、マドゥロ及びヴェネズエラ政府へ制裁を科したのです。

 

③まとめ

 石油資源が豊富とはいえ、貧富の格差の是正が不十分だった為に誕生した社会主義的政権。その政権は当初、石油に依存する経済を是正しようとしていましたが、高騰する石油価格を前にして判断を誤り(そして社会主義への過信?もあり)、現在の危機を招いてしまったのです。また、米国は民主主義をモットーとしながらも、クーデターに加担してしまった事で、友好国を反米国家に変えてしまうという誤算を犯しています。