Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

日本のどっかに勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

小泉悠 氏の『ウクライナ戦争』を読んでみた。

 みなさんこんにちは。現役救急医です。ちょっと今日は医療から離れて、最近読んだ本の話をします。今年になってよくテレビに出演されている専門家 小泉悠 氏の著書『ウクライナ戦争』です。この本は2022年12月初頭に発刊されており、結構最近までの戦争の経過をフォローしつつ、プーチンウクライナ侵攻に至った要因を考察したり, ウクライナ侵攻に至る前の時系列も解説していたりと、色々勉強になりました。

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 そこで今日は、この本を通して私が学んだ、ウクライナ侵攻の時系列をざっくりまとめてみました。

(1) ロシアの侵攻開始

 ロシアのウクライナ侵攻は2022年2/24に始まりました。ロシア軍は南部・北部・東部からの侵攻と同時にウクライナ各地の軍事施設へミサイル攻撃を行い, サイバー攻撃で通信網も麻痺させようとしました。またこれらに並行して、ロシア軍はキーウ近郊のアントノウ空港空挺部隊を送り込んでいます。

 なおこの空挺部隊ウクライナ側の抵抗でアントノウ空港制圧に手こずり、その間にウクライナ側が滑走路を破壊した為、重装備を持つ後続部隊を運ぶ輸送機が着陸できなくなりました。他にもロシアは、ウクライナの情報機関や自治体などに内通者を作っていました。そのためか情報機関の幹部が侵攻直後に逃亡してウクライナの一部地域や重要施設の防衛・警備に混乱を生じたり(チョルノービリ原発が占領されたのもこれのせい), 一部自治体の首長がロシア軍の占領に対して『無血開城』したりしていました。このように、ウクライナ側にロシアとの内通者が居たことは事実ですが、開戦劈頭に相次いで逃亡し, そこまで積極的に手引きをしておらず、役に立ったのか微妙だったそうです。

 また、ウクライナの大統領 ウォロディミル・ゼレンスキーは、米国などからの亡命の勧めを却下してキーウに留まり, 自らスマートフォンで撮影したメッセージをネット上に公開して全国民に徹底抗戦を呼びかけるとともに, 政府首脳部が逃げていないことをアピールしました。ロシアにとっては、これが結構ダメージだったようです。

 小泉氏は考察の中で、上記のようなロシアのウクライナ侵攻の流れはソ連時代の周辺諸国への武力介入と同じであると指摘しています。1968年に起きたチェコスロバキアの『プラハの春』(社会主義改革運動)に対する弾圧では、改革を主導したチェコスロバキア共産党第一書記をモスクワに呼び出している間に, ワルシャワ条約機構軍によってチェコスロバキア全土を占領しています。1979年のアフガニスタン侵攻でも、ソ連アフガニスタン側の指導者を暗殺後に軍を大量投入しています。国家元首を叩くと同時に、軍隊を電撃的に送り込む」という流れをウクライナでも実行しようとしたのですが、上記のように、アントノウ空港制圧に手こずった為にキーウ制圧に必要な部隊を送り込めず, ゼレンスキーらもキーウに留まっていたため、「国家元首を叩いて電撃的にウクライナ全土を掌握する」という目論見は崩れてしまったのです。

(2) キーウ陥落せず

 当初NATO/西側諸国は、「ウクライナ軍はロシア軍に圧倒され、組織的抵抗が困難である」・「従って、ゲリラ部隊へと再編されたウクライナ軍の反乱を支援するのが現実的」と考えていたフシがあったようです。実際、ウクライナ側の武器支援の要請に対し、当初米国は携行式の対戦車・地対空ミサイルばかり送っていました。

 それでもウクライナは持ち堪え、開戦後1ヶ月間において北部主要都市を守り切りました。実際、ウクライナの国土面積は日本の1.6倍(約60万㎢)と広い上に, キーウの北方の森林地帯・湿地帯が天然の要害となり, その上ダムを破壊して洪水を起こすことでロシア軍を更に足止めすることができました。また開戦当初のウクライナ側の兵力は、軍以外に内務省管轄の準軍事部隊などを加えると合計30万人であり(その後の徴兵等により更に増加), それに対しロシア軍が当時動員していた兵力は約19万人でした。

 それでもロシア軍が火力の上で優位だったことは否定できません。しかしウクライナ軍は地の利を活かし、ロシア軍の戦車師団を市街地などで待ち伏せし, 歩兵が対戦車ミサイル(一時期話題になった『ジャベリン』など)を撃ち込むことで、ベラルーシからのロシア軍侵攻を足止めしました。その結果、進軍するロシア軍の車列は60 kmにも及ぶ渋滞を作り出すことになりました。またロシアは、この侵攻を『特別軍事作戦』としていたので、戦時体制を適用できず, 従って徴兵制で集めた兵力を投入できませんでした。その上、ロシア軍の航空機は「ロシア-ウクライナ国境からミサイルを撃って帰る」という戦法しかやっておらず(空軍と陸軍の連携が取れていない, 政治的な理由で制約を受けていた, といった理由?), その為ロシアに比べて脆弱なウクライナ空軍は依然戦力を維持しています。

 そうしたグダグダを受けてか、2022年3月末にロシア軍参謀本部は「東部の解放に注力する」と宣言し、約1週間後にロシア軍はウクライナ北部から撤退して行きました。なおウクライナ軍は、そのロシア軍を追撃するだけの余裕がありませんでした。

(3) その後

 上記のような戦局を受けて、NATO側もウクライナ側への支援を拡大する方向に動きました。3/31にロンドンで開催された国際会議では、防空システム, 長距離火砲, 走行車両等の支援することが決定され、これ以降、米国を中心に榴弾砲無人機, 装甲兵員輸送車などがウクライナへ供与されるようになりました。更にその後、ロシア軍が撤退した都市(ブチャなど)で次々とロシア軍による民間人虐殺が明らかになり、国際世論のロシアに対する姿勢は一層厳しくなりました(ウクライナ政府・国内世論については言うまでもないでしょう)。

 ただ、それでもNATO加盟国はウクライナへの戦闘機や高性能戦車, 長距離ミサイルへの供与に及び腰でした。核兵器保有するロシアとの全面戦争を回避したい」との意図があったからです。それでもなお、NATO加盟国などからの軍事支援が決して無意味だったわけでなく、それなりの規模の兵器が供与されており, また4月にはロシア海軍黒海艦隊の旗艦がウクライナ軍の対艦ミサイルにより撃沈されていますが、これは西側諸国の偵察機が収集した情報がウクライナ側に送られたことも要因と言われています。

 そんな中でも、やはりロシア軍の優位は否定できず、4月にはウクライナ南東部の都市マウリポリが陥落します。その際、ロシア軍は住宅地・病院・避難所をを見境なく砲爆撃することで制圧を達成しています(当然、戦争犯罪です)。マウリポリ陥落により、ロシア軍はクリミア半島とドンバス地方(ウクライナ東部)の兵站線を確保できたばかりか, マウリポリ制圧に使用していた兵力を他に転用できるようになりました。ロシア軍はそれ以降、ドンバス地方の重要拠点を次々と占領していき、7/4にはロシア国防相のショイグが「ルハンシク州の完全解放」をプーチンに報告しています。

 しかしロシア軍-政府内部で5月頃から軋轢が生じていたようで、プーチンが前線の司令官に口出ししまくっていた『弊害』が出ていた可能性も指摘されています。実際、ウクライナ侵攻を指揮していた司令官が次々とすげ替えられるなどの混乱が見られていたそうです。そして2022年夏からロシア軍の攻勢は停滞していきます。

 ちょうどその頃(2022年6月)、米国からウクライナ軍へのHIMARSの供与が始まりました(ロシア領への攻撃を避ける為、射程80 km程度の短距離ミサイルしか供与せず)。ウクライナ軍は、民間の衛星画像, スパイ・特殊部隊・現地住民からの報告, 西側からの情報提供でロシア軍の弾薬集積所, 燃料集積所などの位置を特定し、そこへHIMARSから発射したミサイルを撃ち込むことでロシア軍の兵站を圧迫しました。ロシア軍はこうした弾薬等の集積所をHIMARS射程圏外に移動させることで対処しましたが、このため前線への弾薬等の供給に支障が出るようになりました。なおこれでも、西側諸国はまだ超射程ミサイルや戦車, 戦闘機の供与を上記の理由で見送っています。

 7月頃からウクライナ軍は南部のヘルソン州に兵力を集中させ、実際8/9にゼレンスキーがクリミア奪還を示唆したり, その後クリミア半島各地で攻撃が行われたりしており, 8/29にはウクライナ軍がヘルソン州で反抗作戦を開始しました。また、同月からウクライナ軍は米国製のAGM-88高速対電波源ミサイルを使用し始め、これによりロシア軍の防空システムが破壊されたため、ウクライナ側の無人機・偵察機がロシア軍支配地域の後方へ侵入しやすくなる一方, ロシア軍は地上部隊支援のための航空機を動かしにくくなっていました。

 そうして、ロシア側はまだしも国際社会がヘルソンに注目している中、9月にウクライナ軍は北部ハルキウ州で大規模な攻勢を開始し、ロシア軍を短期間で駆逐したのです。ロシア国内で『部分動員』の話が出たり, ロシア軍がヘルソンから撤退したのはこの後の出来事です

 

 今年も残り1日足らずですが…あまり祝う気分になりません。結局、陰鬱な話題ばかりでした(特に医療業界にいると)。日本社会, 国際社会は変われるのでしょうか。2023年にはあまり希望を持てません。