Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

日本のどっかに勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

【衝撃的事実】『日本版CDC』創設は2009年時点で構想が存在していた

 こんばんは。現役救急医です。私が去る11/21~23の間、第49回日本救急医学会総会に参加していたことは以前述べた通りですが、実はこの学会の講演, ないし セッションで非常に興味深い話がありました。

 学会最終日の11/23午前中に、川崎市健康安全研究所所長で政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会委員でもある岡部信彦先生による講演がありました。その講演で私は、感染症法は1999年に初版(?)が発効したことを初めて知りました。しかし最も印象的であったことは、2003年に発生し世界中へ拡大したSARSを受けて感染症対策への国の役割強化が図られたこと, そして2009〜10年にかけてパンデミックとなったH1N1インフルエンザを受けて、「『感染症危機管理体制を作り、人材を育成する』・『サーベイランスを強化する』・『各病院における院内感染防止を支援する』等の対策が必要である」という結論が既に導き出されていたことでした。なお岡部先生曰く、2009年の頃と比べると今日は政治と科学の間のgapは狭まっているそうです。

 それに加えて、先日の昼休みに私は『日本版CDCは必要か?』というトピックの特別企画のオンデマンド配信(本番は11/23午後にあった)を見ていました。その中で私は驚愕の(?)事実を知りました。2009年7月の時点で日本医学会は『Japan CDC創設に関する委員会』を設置しており、2012年12月に同会が『Japan CDC創設に向けての提案』を出し、その翌年には当時の安倍晋三首相へ提案を行っていたというのです(厚労省内部でも同調する動きがあったそうです)。そして2012年の提案の中では、国民の健康に関する情報の一元化や, 科学的評価を事前並びに事後に行う機構を揃えること, 及び 感染症生活習慣病放射線被曝への対応と予防を目的として、日本版のCDCを創設することを提唱していたというのです。CDCとは"Center for Disease Control and Prevention"の略称で、大雑把に言うと感染症対策を担っている米国の政府機関です。「それに相当する政府機関を日本にも創設すべき」という提言が今から10年くらい前に既になされていたのです。

 しかし実際はどうだったでしょうか?2021年12月初旬現在、ワクチン接種が拡大したことで日本の感染者数が落ち着いていることは事実です。また尾身茂先生や忽那賢志先生, 高山義浩先生, 西浦博先生, 岩田健太郎先生らその道のプロフェッショナルがCOVID-19に関して一般向けに発信を続け、特に尾身先生は政策立案・実行を巡って内閣を含む面々と幾度に渡り折衝を重ね,  尚且つ国会や記者会見の場での質疑応答もこなす等して粉骨砕身とも言うべき有様でした。ですが、とりわけ2021年8月の第5波において、日本中でCOVID-19患者・家族と医療従事者が悲惨な境遇に立たされたことも事実です。「もし政府(或いは内閣の面々)がパンデミック前に有識者の提言を真面目に受け入れていたら」・「もしメディアがパンデミック前に提言を取り上げて、社会全体の関心を励起していたら」・「もし野党がパンデミック前に国会で、提言を採用するよう政権へ迫っていたら」と思うと、やり場のない怒り・悲しみが込み上げてきます。

 

 このブログやYouTube動画で繰り返し紹介している『失敗の本質』では、ノモンハン事件ミッドウェー海戦ガダルカナル島の戦いインパール作戦等の事例を通して、アジア太平洋戦争における日本の敗因を分析していますが、その中でしばしば見られるパターンとして、「敵の動向に関して注意を要する情報をもたらしたり, 作戦計画の問題点を指摘した将校が居たのだが、彼らの意見は大抵無視された」・「敵情を甘く見て強気に出て、壊滅的打撃を被る」といった経緯があります。また、半藤一利氏が対米開戦に至った経緯を追った著作『なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議』を読むと、旧陸軍は日本の国力・物量を試算した結果、対米英長期戦が困難であると判明したことから、南下(≒北部仏印まで既に進駐していたので、それより南への進出)に対し一度消極的になった経緯が記されています。ですが、それでも結局日本は南部仏印まで進駐し(そして米国からは、それまでの鉄屑の禁輸措置に加えて石油全面禁輸を喰らう)、その後真珠湾攻撃マレー半島上陸により対英米蘭戦争を始めてしまっているのです。そこまで突き進んでしまった背景には様々なものがあるのですが、大まかに言うと、①海軍が、対ソ連戦争を意識している陸軍への対抗意識から南下を主張したこと, ②陸海軍双方や政府内で親独派の声が大きく、「ドイツが欧州であれだけ優勢ならば我々も」と考えていたフシがあったこと, 及び ③米英から各種禁輸措置を受けており、南方で資源を確保したかったこと, などが挙げられます。いずれにせよ、そうやって戦端を開いてみた結果が1945年の敗戦であり、敗戦までに餓死を含め多くの兵士の命が前線で失われ, アジア太平洋各地では現地住民が様々な形で巻き添えを喰らい, 日本本土・沖縄でも地上戦・空襲・原爆に巻き込まれ多くの民間人が亡くなってしまった訳です。

 

 

 こうした戦時中の事例と、冒頭の日本版CDCに関する経緯を比較してみると、一定の共通点があるように私は思います。すなわち、

① 集めた情報を基に論理的ないし精密な分析・予測・試算を出来る人が政府内に居るものの、結局その人たちの提言は無視される。

② そういった情報や分析等を蔑ろにしたまま危機的状況へ突入し、泥沼にはまり、多大な犠牲を生む。

の2点です

 私たちは幼い頃から、「先の大戦の惨禍は繰り返さない」・「平和を誓う」というフレーズをしばしば耳にしてきました。しかしながら、先の大戦において戦線拡大と犠牲の増大に繋がった『過程(プロセス)』への反省や検証は十分だったのでしょうか?そのような『過程』への反省が日本社会全体で共有されてこなかったからこそ、未だに日本で様々な問題が起きていると思うのは私だけでしょうか?このCOVID-19という大災害を機に、より多くの国民(とメディア, 議員, 中央省庁の皆様)が思索と議論を深めてくれることを願います。