Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

日本のどっかに勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

愛知県の中3刺殺事件のニュースで思ったこと。

 こんばんは。現役救急医です。今日は珍しく時事問題について自論を開陳します。去る11/24、愛知県で中学3年生男子生徒が同学年男子生徒を包丁で刺して殺害するという事件が発生し、当該地域はまだしも, 日本中が騒然としています。

凶器の包丁をネットで事前に購入したと供述 中学生の刺殺事件 愛知- 名古屋テレビ【メ~テレ】

報道を信ずる限り、動機は「人を殺してみたかった、それにより快感を得たかった」という社会通念上最も許容され難いものではなく、加害者と被害者間の人間関係のトラブルであるように思われます。

 これらの報道を見聞きして私が思い出したのが、歴史学者が中世日本の紛争解決システムについて一般人へ解説する為に書いた本『喧嘩両成敗の誕生』に記載されていた細川勝元のエピソードです。曰く、勝元が15歳の時、普段からの連んでいた同世代の少年2名(香西某と前田某)の囲碁を観戦している際に、勝元が香西へ助言して前田の怒りを買ったそうです。勝元と前田は口論になり、勝元は一度前田を追い出します。ところが前田は自宅から刀を持ってきて勝元宅に押し入り、勝元に襲い掛かりました。幸い勝元は前田の襲撃を上手く交わすことができ、前田を逮捕しました。その後前田は身柄を親類宅へ預けられ、切腹したそうです。

 この『喧嘩両成敗の誕生』には他にも、室町時代の様々な血生臭いエピソードが多く記載されています。それらのエピソードと, 昨今起きている様々な事件や海外の武力衝突の報道を比べて私は思うのです:  「『やれ工業化だ、民主主義だ、デジタルだ』などと言いながら、人間の本質は中世から大して変わらねえじゃん!」と。すなわち、人間とは恨み・怒り・憎悪といった負の感情に突き動かされる存在なのです。

 ですが、「相手の言動が生理的に不快だったor侮辱的に見えたから殴ったの?人間だからしょうがないね」と言ってそのまま受け流す訳には行きませんよね?「自分の感情等がどうであれ、相手の身体・財産・尊厳を蹂躙する行為は許されない(犯罪・人権侵害である)」ということを、極力幼い時期から理解させる必要があると思います。加えて、「罪を犯せば(≒人の身体や財産, 尊厳等に危害を加えれば)罰せられる」・「信賞必罰」の原則を幼い時期から刷り込む必要もあります。

 それだからこそ、愛知の少年は今後家庭裁判所に送られて、少年鑑別所だの少年刑務所だのに送られるのでしょう。ですが、本来ならば処罰(と更生プログラム)が必要なのは、未成年の(立件された)刑事事件だけではないはずです。同級生・同学年・先輩後輩間の私的制裁(端的に言うといじめ)や、教員から生徒への暴力(また逆も然り), 教員による生徒への猥褻行為に対しても処罰が例外なく適用されるべきです。宿題を忘れた・校則を守れなかった生徒が教員に罰せられたり, 今回のように他人を殺傷した生徒が逮捕され家庭裁判所を経て鑑別所・少年院等に送られるのに、いじめによって同級生や後輩の心身を傷害した生徒や, 生徒へ身体的・精神的な暴力を振るった教員, 理不尽な校則で生徒の尊厳を蹂躙した教員らが、PTA・学校教員・教育委員会のご都合主義によって罰せられないのは、純粋におかしいです。

 こうゆう「本来であれば『非常識』」なしきたりが地域内・学校内等でまかり通る限り、教員・保護者が生徒らへ「基本的人権とはこうゆうものだ」・「他人の人権を蹂躙するな」と説いても説得力が皆無です。まずは大人たちがしっかりすべきなのです。

 ネット上で検索して出てきた各種記事や報道等を見て、他にも思ったことはあります。例えば事件があった当該中学校・地域への見境のない取材(インタビュー)とかetc...ですが、長々と自論を述べても収拾が着火なくなるのでここらへんでやめておきます。賛同頂ける方は是非、読者登録やいいね, コメントを宜しくお願い申し上げます。