Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

日本のどっかに勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

【海外メディア記事より】ウクライナ首都防衛戦の内情

 こんばんは。現役救急医です。今日も前回に引き続き、ロシアのウクライナ侵攻に関する海外メディアの記事を紹介してみます。今日参考にするのは、英国の新聞'Guardian'が昨年12/28に発表した記事"The battle for Kyiv revisited: the litany of mistakes that cost Russia aquick win"です。

www.theguardian.com

今回も、記事の中で重要そうな部分を抜粋し, 自己流で翻訳(多分雑で不正確)してまとめてみます。

 

(1) ロシア侵攻までの流れ

 2021年3月からロシア軍はウクライナ-ロシア国境やウクライナ-ベラルーシ国境に留まっていたが、米英の情報機関が「ロシアはウクライナに侵攻するつもりだ」と確信したのは同年秋であり、実際に情報機関から西側諸国メディアにこうした情報が提供され, 報道されるようになった。

 その頃からベラルーシに駐留するロシア軍はチョルノービリを通過してキーウを攻撃するが, これと並行して空挺部隊によってキーウ北西部に位置するホストメリ空軍基地(アントノフ空港)を確保し、そこから後続の部隊を送り込んでキーウを包囲・占領する」というロシア側の計画を西側情報機関は掴んでおり、ウクライナ当局にも情報共有された。事実、2022年1月にはCIA長官のバーンズが直接ウクライナ大統領のゼレンスキーに面会し、ロシアのホストメリ空軍基地占領計画を伝えている。但しゼレンスキーは西側から提供された情報やロシア軍の動向を軽く考えていたフシがあり、彼がウクライナ軍の予備隊を招集したのは侵攻開始前日の2/23であった。

 他方、ウクライナ国境に居たロシア軍兵士の大半は侵攻計画のことを知らず, ベラルーシのKhoyniki(キーウから約48.3キロ北方に位置)に駐留していたロシア兵らは、酒を飲んだり, ディーゼル燃料を転売したりして過ごしていた。但し一部の精鋭部隊はウクライナ侵攻計画について事前に連絡を受けており、「キーウは半日で陥落する」, 「攻撃開始から3日後くらい経ったらキーウ市内でパレードを予定しているので、儀礼用の制服を持っていくように」とまで言われていたとのこと。

 ロシア側だけでなく西側諸国の政府も当初、「ウクライナはすぐにロシア軍に屈し, キーウは72時間程度で陥落する」と考えていた。事実、ロシア側の兵力は15万とウクライナ軍の全兵力と同等な上に、戦車の数が圧倒的であり, 航空戦力やミサイルの戦力もウクライナを上回っていた。

 

(2) ホストメリ空軍基地及びキーウ市内の戦闘

 2022年2/25にホストメリ空軍基地はロシア軍の空挺部隊に制圧された。しかしロシア軍が航空支援を十分行わなかったせいで、空軍基地近隣のウクライナ側の地上部隊は無傷だった。これらの部隊の反撃により、ロシア軍は応援部隊を送り込むことが出来なくなった。ちなみにホストメリ空軍基地を防衛していたウクライナ側の戦力は「150名そこそこ」の'National Guard of Ukraine'(ウクライナ国家防衛隊?)の旅団であり, 当時、首都防衛に当たる兵力の大半(10個旅団)は、同国東部のドンバス地方へ送られていたとのこと。

 またロシア軍はウクライナ軍の指揮系統を破壊するための空爆・ミサイル攻撃が徹底で、専門家曰く「本来は72時間は継続が必要」とされるこうした攻撃を7時間しかやらなかったとのこと。加えてロシア軍は、キーウにある大統領官邸等の政府庁舎の空爆も行わず、かわりに特殊部隊を送り込んでゼレンスキーを誘拐ないし殺害しようとしていた。実際、ロシア軍による侵攻初日の夜間には、キーウの官庁街で銃撃戦が発生し, 政府首脳らに銃や防弾ベストが配られた。

 それでもゼレンスキーらウクライナ政府首脳はキーウを離れることはなく、2/25の夜にはゼレンスキー自身がネット上に「我々はここに居る」と述べる動画を投稿した。ゼレンスキーは上述のように西側情報機関等からの事前の警告を真に受けなかったことに関して批判は受けているが、ロシア軍侵攻開始後はキーウに留まることにより、ウクライナ国民の団結を促した。

 

(3) ウクライナ北部での首都防衛戦

 ベラルーシから越境してキーウに向かう部隊は、シンクタンクの報告書曰く「その他の都市が既に制圧されたかのように動いており、キーウに届くスピードだけを重視して道路に行列を作っている」有様だったという。その時ウクライナ北部に侵攻したロシア軍は、兵力の上でロシア:ウクライナ=1:12と圧倒的優位であった(当時のウクライナ軍は、多くが東部に配置されていた)。

 他方、キーウ防衛を託されたウクライナ側の兵力は3個旅団であり、うち2個は砲兵旅団で, これらの旅団は備蓄が持ちさえすればロシア軍の火力に何とか太刀打ちできる規模であった。メディアでは『ジャベリン』や'NLAW'といった携行式対戦車ミサイル(小火器)が戦車を破壊するイメージが流布されたが、実際のところ、ウクライナ北方から攻め寄せるロシア軍を頓挫させたのはこれらの砲兵旅団(榴弾砲等の重火器)であった。

 事実、侵攻から3日目にはロシア軍はキーウから北に約20.9キロの位置のブチャとイルピンの間で停止してしまっており、同地では破壊されたロシア軍の車両の残骸が路上に沢山転がっているような有様だった。その結果、約64.4キロに及ぶ車列がベラルーシ国境から延々と形成されることとなり、この『渋滞』はウクライナ軍の格好の標的となった。ウクライナ軍は砲撃や待ち伏せ攻撃, 果ては小規模ながら空軍による2~3日間程度の空爆によってこの『渋滞』を攻撃し続け、この軍団への補給が追いつかないこと, ウクライナの他地域(東部や南部)への侵攻も同時にやっていたことから、とうとう侵攻開始から35日目にロシア軍はキーウ侵攻を中止した。

 専門家曰く、プーチンらロシア政府上層部は、戦況やウクライナの実力に関する判断を誤っていたが故にキーウ攻略に失敗した。なお戦争は依然終わりが見えず、ロシア軍のキーウ攻略失敗は、この戦争の単なる序章に過ぎない。

 

 敵軍の戦力を甘く見積もったり, 「敵はすぐに屈服するはずだ」という甘い予想(ないし願望)だけを根拠に作戦を立案・実行したり, 指揮系統が異なる組織を連携して動かすことが出来なかったりと、ロシア軍は、これまでこのブログYouTubeチャンネル紹介した書籍『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(寺本義也, 戸部良一ほか著; 中公文庫)で紹介された旧日本軍の失敗と似たようなヘマをやらかしています。ただ当時の日本軍と今のロシア軍で異なる点は数多あり、21世紀の軍隊は総じて、第二次世界大戦当時の連合国・枢軸国軍いずれと比べても近代化が進んでいること, 米中と比較して経済力や技術力などは見劣りするかもしれないが、ロシアも核兵器保有し、それなりの通常戦力も保有し、安保理常任理事国であること, ロシアは自国内に豊富な地下資源を保有しており、経済制裁の影響は受けるであろうが、当分の間これらの資源の輸出や国内利用等により持ち堪えるであろうこと は決して軽視できません。『軍事大国の戦争犯罪が看過され、侵略行為がそのまま受け入れられてしまう』という前例をこれ以上作らないためにも、 少なくともウクライナがロシアに占領された全領土を奪還し, ロシアが屈服し, ウクライナが十分復興を果たすまでは対ウクライナ支援・対露制裁を継続(そして現状よりも強化)すべきです。

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