Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

日本のどっかに勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

『安楽死』事件の報道を見て思ったこと

 去る7月23日、衝撃的な事件が報道されました。筋萎縮性側索硬化症の女性からSNSを通じて依頼を受けた医師2名が本人宅を訪問し、薬物投与により死なせたとして、嘱託殺人容疑で逮捕されました。

 まず安楽死の定義ですが『医事法入門 第2版』(手嶋豊 著, 有斐閣)の記述によると「死期が目前に迫っている病者が激烈な肉体的苦痛に襲われている場合に、その依頼に基づいて苦痛を緩和・除去することにより安らかな死に至らしめる行為」です。そしてこの書籍によると、安楽死は次の4つに分類されます。

① 純粋安楽死: 生命の短縮を伴わずに苦痛を除去する。

② 間接的安楽死: 苦痛緩和の為に薬剤を投与し、その副作用によって死期を早める。

③ 消極的安楽死: 積極的延命治療をしないことにより死期を早める。

④ 積極的安楽死: 人の生命を自然の死期に先立って直接短縮する。

純粋安楽死以外は、自然の死期に先立って患者の生命を短縮する行為なので、刑法上は殺人, 自殺関与, 同意殺人に該当する可能性があります。なおこの本は2008年に出版された本であり、2020年現在の定義にそぐわない可能性もあります。以下に紹介する、産婦人科医の作成した動画の方が分かりやすいと思います。

なお過去にも日本国内で安楽死が刑事事件・訴訟に発展した事例があり、その時の判例緩和医療専門医の書いたYhoo!ニュース記事にて言及されているのですが、

① 患者が耐えがたい肉体的苦痛に苦しんでいる

② 死が避けられず、死期が迫っている

③ 肉体的苦痛を除去・緩和する為に方法を尽くし、他に代替手段がない

④ 生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示がある

の4点が揃っていれば、安楽死の違法性は阻却されます。しかし今回の『安楽死』事件は上記②, ③について合致するとは言い難いと考えられています。

 加えて上記動画及びYahoo!の記事で共通して指摘されているのが、「緩和ケア・緩和医療により苦痛を和らげることが出来るのだが、まだ充実していない・認知度が依然として低い・誤解されている」ということです。私はまだ緩和ケア・緩和医療に関して疎いので、詳細は上記2者の動画ないし記事を参照して頂きたいのですが、要は「死に至るまでの間を、極力苦痛なく生きることで充実させる」ことを支援する手段がそこまで普及していないのです。そしてそのような現状で安楽死を議論するのは時期尚早ではないのか?ということが指摘されているのです。

 また安楽死の歴史を振り返ると、国家による非人道的なジェノサイドという側面が存在したことも忘れてはなりません。かつてアドルフ・ヒトラー率いるナチ党が政権を担ったドイツは、『民族衛生』 ー すなわちドイツ人から遺伝的な汚れを除去し、より健康で純粋な民族にする ー を実践する為、(日本や米国でも似たような政策が行われていましたが)『遺伝性疾患』とされた精神発達遅滞, 統合失調症, てんかん, 聾唖, 奇形などが断種(=不妊)手術の対象とされ、優生裁判所が「断種が妥当」と判断すれば、本人が拒否したとしても断種手術が決行されました。そしてナチスドイツの『民族衛生』政策は更に過激化します。1939年よりヒトラーは『障害のある』子供を『生きるに値しない命』と呼び、安楽死させる(=殺害する)プログラムを開始。『生きるに値しない命』の対象はすぐに大人にまで拡大し、このプログラムは"T4作戦"と呼ばれるようになりました。

 1945年にナチスドイツは降伏しヒトラーは自殺しましたが、その頃と比較しても人類の道徳観は大して進化していないと私は考えています。欧米のみならず日本でも排外的な主張をして特定の民族・集団の人権を否定する極右過激派が跳梁跋扈し、彼らの支持を背景に幅を聞かせる政治家ないし国家元首が各国に見られます。また1990年代のルワンダ虐殺・旧ユーゴスラビア諸国の紛争や近年のシリア内戦(アサド政権軍やロシア・イラン軍が反体制派地域への無差別爆撃・化学兵器攻撃に関与), 中国のウイグル人への迫害, ミャンマーのロヒンギャ迫害のように、ヒトラーに引けを取らないジェノサイド或いは民族浄化が世界中で公然と行われています。

 誤解なきよう言っておきますが、私は安楽死(と尊厳死)自体を否定する訳ではありません。全ての人間が同じ人権を有していることは言うまでもないでしょうが、私は信教の自由, 表現の自由, 思想の自由などと同様に、各人が生き方も死に方も好きなように決める自由がある(他者, 特に国家権力の制約を受けるべきでない)と思っています。しかし、ナチ党が解体してヒトラーが死んで70年以上経った今日でも、『安楽死』をロクでもない方向性で解釈して残虐な手法で実行して見せたり, 上述のように過激思想を奉じる者どもが発言力を持ち, 民族浄化が阻止されることなく現在進行形で行われている現状(しつこく繰り返すようですいません)を見る限り、安楽死の議論を特に何らかの制約を設けることなく開始することは危険ですらあると私は思っています。例えば、もし仮に安楽死に関する法整備の議論を国会審議やマスコミといった環境で行う場合、優生主義や人種差別等の極端かつ不寛容な主張(をする人間)を徹底的に排除した上で議論を開始すべきだと考えます。