Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

東日本の某県に勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

「世界史に影響を与えた人物」に医療関係者も加えたい。

 私は暇さえあればよくYouTubeを試聴するのですが、最近ハマっているチャンネルがあります。『俺の世界史ch』といって、世界史好きなチャンネル所有者(歴史専門の家庭教師のようです)が世界史に関する様々な知識を披露しています。 

そのチャンネルが上げている動画シリーズの中で、「世界史に影響を与えた人物ランキング」なるものがあり、チャンネル所有者が選抜した100名を下位から順に紹介(7/2現在、95位[6/24に公開]までが紹介されている)しています。

 そこで今回、「世界史(人類史)に影響を及ぼしている」と思う歴史上の医療関係者を私の独断と偏見で選出し、ここで紹介します。なお今回、敢えて順位は付けません。

 

1. アンドレアス・ベサリウス

 16世紀、パリ大学で学んでいたブリュッセル(現ベルギーの首都)出身の医学生ベサリウスは、大雑把な解剖実習に不満を持ち、墓場や処刑場から持って来た遺体を使って自分で解剖を行いました。そして画家の協力を得て精細なスケッチを行い、図版・書籍として刊行しました。

 その後18世紀末になると、英国の解剖学者マシュー・ベイリーが『人体のもっとも重要な諸部分の病理解剖学』という教科書を発表します。ベサリウスが正常な人体の解剖を研究したのに対し、ベイリーは病気になった人体(e.g. 悪性腫瘍)の解剖を研究したのです。この2名の研究が外科医にとって重要なアトラスとなったのは言うまでもないでしょう。

 

2. イグナーツ・ゼンメルワイス

 19世紀まで、手術時に医師は手袋も付けなければ手も洗わず、手術着や手術台は血で汚れ、手術器具は水で洗う程度であったそうです。そのため、例えば1840年のウィーン総合病院では、妊婦のうち3人に1人が産褥熱で死んでいた(医学生が検死解剖後、手を洗わないで病棟に行っていたから)そうです。しかし産科学生が病棟を担当した場合は死亡率はわずか3%。これに目をつけたのがゼンメルワイスです。

 彼は医療スタッフに、石鹸と塩素水で手を洗うよう指導したところ死亡率は激減しました。しかし彼の主張は当時、すぐには受け入れられませんでした。

 

3. ジョセフ・リスター

 19世紀、外科手術後の感染が問題視されていました(2. の経緯を見れば原因は一目瞭然ですが)。そんな中、1860年代にスコットランドのリスターは後述のルイ・パスツールの実験から着想を得て、「空気中の細菌が手術後の創部に着くから炎症や化膿が起こるのだ」と考えます。そしてリスターは手術部位や創傷に着いている細菌を排除するため、当時下水の浄化に使用されていたフェノールを消毒に利用し始めました。これにより死亡率が下がり、20世紀初頭までには(医療における)「消毒」という概念が受容されるようになりました。ゼンメルワイスとリスターが居なければ、手術は不潔なまま行われていたかもしれません。

 

4. ウィリアム・モートン

 19世紀まで、手術は麻酔なしで行われていました。しかし1846年に転機が訪れます。同年、米国の歯科医モートンマサチューセッツ総合病院の外科講堂でジエチルエーテル(以下、エーテルと呼ぶ)を用いた公開手術を行いましたモートンが頸部血管腫瘍の患者にエーテルの蒸気を吸入させ、患者が眠ったところで外科医が手早く腫瘍を切除。目覚めた患者は「痛みはなかった」と述べましたこれが麻酔(全身麻酔)の始まりとされています。麻酔は、上記2, 3の消毒・清潔と並んで安全に手術を行う為に不可欠な要素です(術者である外科医や麻酔科医ら医療スタッフの能力も重要な要素ですが)エーテル以降、麻酔に使う薬剤や機械/技術の革新が繰り返され現在に至っているのです。

 

5. ルイ・パスツール

 古来、ペスト, コレラ等の疫病(感染症)の原因は、地中に埋まった死体やその他腐敗した物質から生じる『瘴気』が原因と考えられてきました(但し16世紀には既に、「何らかの目に見えないモノ[≒微生物]に感染することが原因だ」と考える医学者が居たそうです)。

 そして1880年代、顕微鏡によって細菌が見えるようになることで転機が訪れます。1877~79年にパストゥールは炭疽菌を発見。また彼は、空気に曝された肉汁が腐敗する一方で、滅菌され真空となった容器へ肉汁を入れると腐敗しないという実験を行い微生物の微生物の存在を証明(生物の自然発生説を否定)したことでも有名です。後述するコッホと並んで、微生物(細菌)が感染症の原因であることを示した点では重要な人物だと思います。

 

6. ロベルト・コッホ

 コッホはパストゥールと同時代に活躍、1882年に結核菌を, 1883年にはコレラ菌を発見しています。他にも細菌培養法の基礎を確立したり感染症の病原体を特定する指針の一つ「コッホの原則」を提唱した人物でもあります。上述のパストゥールと同様、微生物(細菌)が感染症の原因であることを示した点では重要な人物であります。

 

7. エドワード・ジェンナー

 乳搾りの娘が天然痘にかからないことに着目した英国の医師ジェンナーは、牛痘を被験者に接種して回ります。その後、被接種者が天然痘へ免疫を獲得し, また人体への危険性が無いというデータを得たジェンナーは1798年にその成果を世界中へ公表しました。以後、牛痘による種痘は全世界へ広まっていきます。

 なお、ジェンナー以前から種痘は存在しており、トルコなどの中東では天然痘患者の膿疱から採取した膿を被接種者の皮膚に付けた傷へ浸透させる等の方法が取られていました。しかしこの方法は、接種された人間が重症の天然痘を発症することも一定の割合でおり、中には死亡する人も居ました。この方法が1721年には英国に導入されますが、普及は限定的で都市部には伝播していませんでした。

 

8. ジョン・スノー

 1854年にロンドン中心部の1地区でアウトブレくを起こしたコレラを調査した結果、汚染された水源を特定。疫病が瘴気でなく感染によるものであることを示唆するデータではあったが、当時は注目されませんでした。1880年代の顕微鏡によるコレラ菌発見より前の出来事ですから、「疫学的に感染症を研究した最初の医師」という点では重要な人物だと思います。

 

9. カール・ラントシュタイナー

 1900年に血液型(ABO)を発見。これにより輸血が安全となりました。それ以前から病院・怪我人への輸血は試みられていたそうですが、血液型不適合に伴う失敗(死亡)もそれなりに多かったと思われます。

 

10. アレクサンダー・フレミング

 1920年代に世界初の抗生物質ペニシリンを発見した人物です。なお、細菌学者であった彼はカビからペニシリンの精製を試みましたが上手くいかず、1940年代に別の研究者が精製に成功、そこから大量生産が可能となりました。当時は第二次世界大戦真っ最中であったため、大量生産されたペニシリンは多くの傷病兵を感染症から救ったとされています。

 

11. フローレンス・ナイチンゲール

 看護師の開祖(?)的存在であるナイチンゲール彼女の功績は、単にクリミア戦争における傷病兵への敵味方を問わぬ献身的な看護に限ったものではありません。現地で傷病兵を収容する病院の衛生改善に着手し、その結果死亡率を改善させます。また戦地から帰国後は、病院に関する報告書を解析して死因別の死者数などを可視化した功績から、統計学者ともされています。

 

12. ヨーゼフ・メンゲレら

 ダーウィンによる進化論の発表(1859年、『種の起源』を発刊)や, メンデル(1860年代に、エンドウマメの交配実験の結果を発表)とド・フリース(1900年頃に植物の交配実験を行い、『突然変異体』の概念を初めて提唱。またメンデルの論文を再発見した一人でもある)による遺伝法則の発見を受け、「ヒトの『劣った』遺伝形質を将来の世代に残さないようにする」ことを理想に掲げる『優生学』が20世紀初頭に誕生、世界中に伝播します。

 そしてドイツでは優生学が凄惨な結果をもたらします。アドルフ・ヒトラー率いるナチス政権は、ユダヤ人・ロマ人に加えて、身体障害者, 精神疾患(と見做された場合も含む)患者, 精神発達遅滞(と見做された場合も含む)の人, 同性愛者らが「生きるに値しない命」とされて『安楽死』の対象になったり, そうでなくとも断種(不妊)手術を行われました(なお強制的な不妊手術は、日本や米国でも行われていた)。またナチス優生学プログラム推進のため、学術的な研究を支援。そうした研究者の中には、強制収容所の囚人へ人体実験を頻繁に行い『死の天使』と呼ばれたメンゲレも含まれていました。

 第二次世界大戦終結後の1946年、この人体実験に関わった医師らもニュルンベルグで戦犯として裁かれることになります。その時の判決文が人を対象にした研究に関する倫理原則である『ニュルンベルグ綱領』と呼ばれているのですが、これを基に1964年、世界医師会がヘルシンキ宣言を採択。それ以降も改訂が何度か行われていますが、今日でもこの宣言が臨床試験(人を対象にした研究)に関するコンセンサスとして用いられています。後述する731部隊, エガス・モニスらと並んで、「医学の負の歴史として記憶されるべき人物」だと判断したので選出しました。

 

13. 731部隊

 日本もアジア太平洋戦争中、731部隊なる部隊を編成していました。日本の傀儡国家となった満州国において、囚人(漢人, 満州人, ロシア人など現地住民)を対象にチフス, ペストなどの細菌兵器の試験の他、凍傷, 銃創などの侵襲にどこまで人体が耐えられるかといった人体実験を行っています。こちらの方は、戦後にソ連側のハバロフスク裁判で裁かれた者は一部居たものの、責任者であった石井四郎は連合国側(米国)と取引し、研究データを引き渡す代わりに戦犯としての訴追・処罰を逃れています。こちらも、「医学(そして日本の)負の歴史として記憶されるべき」という意味で選出しました。

14. エガス・モニスら

 医療関係者なら一度は聞いた頃があるかもしれない術式、ロボトミー(前頭葉白質切除術)でノーベル医学・生理学賞を受賞した人です。なおこれも、12, 13と同じ「負の記憶/遺産」という意味での選出です。

 始まりは1888年、スイスの医師ゴットリープ・ブルクハルトが、幻覚を訴える精神疾患患者ら(当時の診断基準なので、統合失調症とも限らない。脳炎もありうる[私の意見ですが])へ開頭手術を行い、大脳皮質の一部をスプーンでえぐり取ったことに始まります。患者の術後経過は様々で一部は『大人しくなった』一方で、多くは何年も後遺症に苦しむ, 或いは 術後合併症で死亡し, 中には自殺した患者も居たそうです。その後ブルクハルトは、当時の医学界から野蛮と見做されたこともありこの手術を止めました。

 しかしながら1930年代後半になると、米国内の施設に収容されている精神疾患患者が40万人へ膨れ上がったことをきっかけにロボトミーは復活します。1935年、神経科医のモニスは慢性的なうつに罹患していた女性患者の頭頂部に穴を開け、前頭葉エタノールを注入して壊死させる手術を初めて行います。その後、モニスは手術器具を改良し前頭葉切除専用のメスを開発。精神疾患患者へ次々とロボトミーを行います。多くの患者は術後すぐに精神病院へ送り返された(症状が改善した訳でない)にも関わらず、彼は上記の如くノーベル賞を受賞しました。

 また、モニスに倣ってロボトミーを実施し、彼よりも活発に宣伝を行って世間に広めた医師が居ました。神経科医のウォルター・フリーマン脳神経外科医のジェームズ・ワッツです。彼らの最初の手術は1936年であり、やはり患者の多くは術後の改善が乏しい, もしくは自発的な行動がなくなり, 幻覚も治らないケースが多かったのですが、彼らはロボトミーの効果の宣伝を止めませんでした。更に、フリーマンは開頭せずにアイスピックを眼窩経由で前頭葉に刺す新しい術式を編み出します。しかしその後、1960年代末になると抗精神病薬クロルプロマジンが開発されて精神症状を抑えることが可能になったこと, 手術した女性患者が脳出血で死亡したことでロボトミーは実施されなくなりました。

 この手術は、患者の人格を破壊すること, 治療効果が明らかでないのに過大な侵襲を与えている(寧ろ害になっている)ことから、当時から批判的な意見が上がっていました。これも上記12, 13同様、医学の負の歴史として記憶されるべき人物なので選出しました。

 

15. ヴィルヘルム・レントゲン

 言わずと知れた、X線を発見した人です。彼の名前がそのまんま単純X線撮影装置の呼称となっています。X線が今日でも臨床における基本的な検査の一つであることは言うまでもないでしょうし、そもそもX線が発見されていなければ、CTという(被曝線量は増えるけど)診断に大いに役立つ装置も生まれていませんでしたね。

 

 最後になりますが、今回の記事を書くにあたり参考にした文献を紹介します。

1) 『がん 4000年の歴史』著者; シッダールタ・ムカジー, 早川書房

2) 『世にも危険な医療の世界史』著者; リディア・ケイン, ネイト・ピーターゼン, 文藝春秋

3) 『疫病と世界史』著者; ウィリアム・H・マクニール, 中公文庫

4) 『遺伝子 親密なる人類史』著者; シッダールタ・ムカジー, 早川書房

これらの本でカバーしきれない部分は、適宜Wikipediaを参考にしました。なお、「他にこうゆう人も居るぞ!忘れんな!!」という候補者が居たら遠慮なくご教授ください。