Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

日本のどっかに勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

【今年最後の投稿】歴史は検証されるもの

 今年は、明治維新戊辰戦争)150周年という事で、大河ドラマが『西郷どん』だったり、各地で記念行事が開かれたりしたようです。

 明治維新以降、封建制度は終焉(幕府が解体, 身分制度は廃止)に向かい、徐々に西洋の技術・制度を導入する近代化が進められていく訳ですが、決して皆にとってプラスとなった訳ではありません。

 例えば、幕府と幕府に忠誠を誓った勢力(東北諸藩など)にしてみれば、長州は「尊王攘夷」の大義名分をいいことに、京都で殺戮・破壊行為の限りを尽くした無法者集団でしたし、薩摩も途中で寝返った裏切り者と映ったでしょう。更に、会津藩鳥羽伏見の戦いの後で嘆願書を朝廷に提出し、天皇への恭順を表明していたにも関わらず、新政府側が会津討伐を主張し続けた結果、奥羽列藩同盟の成立→戊辰戦争の東北への拡大に繋がったのです。挙げ句の果てに、敗戦後の会津藩は現在の青森県東部(当時は極寒で不毛の地)に当たる斗南藩へ配置換えされ、移住させられた会津藩氏族らの生活は困窮を極めたようです。

 また、新政府側についた者の中でも、明治に入って理不尽な目に遭った人は少なくありません。版籍奉還秩禄処分によって藩は解体, 収入源が突然無くなり、更には廃刀令という、武士にとって命同然の刀を差し出せという命令が出されます。不満を抱いた氏族が各地で反乱を起こし、遂には西南戦争に発展しました。

 近代化(そして民主化)に当たって、幕藩体制の解体は必要不可避であったと思います。しかし、「この流血は避けられたのではないか」, 「こんなに急激に改革を進める必要があったのか」と疑問を抱き、検証してみる必要性はあると思います。これらの歴史が脈々と受け継がれ、現代に続いているのですから。

 加えて、「歴史を検証する」という点では、『偉人』とされる人々の言動に対しても、同様の視点が必要かもしれません。例えば吉田松陰松下村塾を通じて、伊藤博文, 高杉晋作, 山縣有朋長州藩士に影響を与えた人物ですが、彼の著書の中には「北海道を開拓し、琉球王国を日本領にするだけでなく、朝鮮半島満州, フィリピンも征服してしまえ」という主張も見られます。彼に師事した長州藩士は、京都で既述の通り「尊王攘夷」の名の下にテロに等しい行為に及び、一時は長州征伐という危機的な事態を招きますが、最終的に薩摩・肥前・土佐といった面々を味方に付けて倒幕を達成しました。

 問題はその後です。明治期以降、日本政府は吉田松陰の「アジアに日本の領土を拡大せよ」という主張を実行に移したのです。朝鮮半島における覇権を巡って日清戦争を起こし(その結果、清から台湾などの領土の割譲を受ける)、その後は朝鮮半島に加え満州の覇権を巡って日露戦争を起こします。そして時は下り、満州事変→日中戦争→太平洋戦争と日本の征服活動は満州以南の中国や東南アジア, 太平洋にまで拡大してしまいます。その結果は言うまでもないでしょう。

 考え方によりますが、アジア太平洋戦争の悲惨な破局, そして未だに残る韓国との歴史問題・賠償を巡る軋轢の発端は、吉田松陰の思想と、それを盲信した長州藩士だという解釈も可能です。

 我々は学校教育で日本や世界の歴史を学び、各種メディアでも色々な史実(各個人のイデオロギーといったバイアスが重なったものも含む)が紹介されていますが、常にこれらに疑問を抱き、検証し続けるという姿勢も必要だと思います。

 以上、今年最後の投稿でした。来年も、よろしくお願い申し上げます。