Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

東日本の某県に勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

「乳腺外科医『わいせつ行為』事件」が2審で有罪 ー でも司法に医療関係者は怒っている!

 以前、乳腺外科医が病院内で女性患者へ『わいせつ行為』をしたと警察に通報され、刑事訴訟になっていた案件について紹介したと思います。そしてこの案件は東京地裁における1審では無罪判決が下っていました。実はその後、原告側が上訴し東京高裁で2審が行われていたのですが、なんと去る7/13に1審と逆の判決が出ていたのです。

 まず、東京高裁の裁判官が何を根拠に有罪・懲役2年と判決を下したのかをまとめてみます。

① 原告女性がせん妄であったかについて

 裁判官はせん妄について、「せん妄はあったが幻覚があったとは言えない」という検察側証人の証言を採用し、「仮にせん妄であったとしても、せん妄に伴う幻覚は生じていなかった」と判断。また1審における看護師らの「原告女性はせん妄を来していた」という証言について、病院関係者が被告にとって有利な発言をする可能性があること, カルテに「覚醒良好」との記載があったことから採用されませんでした。

 

※ せん妄について

 『救急診療指針 改訂第5版』(一般社団法人 日本救急医学会が監修)によると、せん妄は「急性に出現する、意識・注意・近くの障害であり、症状は変動性であることが特徴」であり、特にICUで高頻度に認められます。せん妄には、1. 易刺激性, 興奮, 錯乱, 幻覚等を伴う過活動型 と、2. 注意力低下, 不活発, 不適切な会話等を伴う不注意型, 3. 両方の症状がある混合型, の3つのサブタイプが存在します。

 脳疾患, 臓器不全, 感染症, 水・電解質・栄養・血液学的異常, 薬剤の副作用や薬剤の離脱(e.g. ベンゾジアゼピン睡眠薬を長期的に内服していた人が入院を契機にその薬剤の内服を突然中断した, 長期的にアルコールを多飲していた人が入院によって突然飲酒を止めた場合など)といった直接的な原因へ、頭痛・睡眠の妨害・心理的ストレス等の促進因子と, 加齢・認知症といった背景因子が関与することで発生します。

 

② 科捜研のDNA定量検査について

 1審では、科捜研がDNAの増幅曲線や検量図のデータを残していないこと, DNA抽出液を証拠鑑定後に破棄したことから、証拠不足と判断され「証明力が十分でない」と指摘されていました。ところが2審では、科捜研の鑑定の「科学的厳密性に議論の余地がある」と言いながらも、原告女性の「証言の信用性が補強できる」鑑定結果であると判断したのです。

 要するに、(検察側と)裁判官らは、1. せん妄状態についてロクに理解もしないまま, 2. 実験データや証拠の保全が杜撰な科捜研(警察)の鑑定結果を証拠として採用した訳です。

 せん妄について上記のように専門書から引用した記述で説明しましたが、これは頭部外傷, 肺炎や腎盂腎炎等の感染症とそれに伴う敗血症, 急性薬物中毒といった重症状態の入院患者や, 全身麻酔手術後の患者では年齢・性別を問わず起こりうる病態なのです。医学部6年生の時、国家試験対策予備校の講義ビデオで鎮痛薬のケタミンについて「鎮静効果と鎮静効果両方があり, 尚且つ呼吸抑制を来さず, 交感神経刺激作用のため血圧低下を来さないので、子宮内反症のような産婦人科領域の緊急性を要する疾患への処置の際に使うことがあったが、女性患者が医療スタッフに対して『悪魔が居る』と言い始めるなど幻覚・悪夢の副作用もある」という旨の解説を講師がしていたことを朧げながら記憶しています。事実、救急医療の現場でも広範囲熱傷の患者の創傷へ処置を行う際にこのケタミンを使用することが多々あるのですが、患者が状況にそぐわぬ奇妙な発言をすることがあります。また、元々認知症が背景にある高齢者が入院した後、夜に眠らずに病室で騒ぎ出したりした事は私だって何回も経験していますし、アルコール依存症が背景にある患者が入院後に幻覚によって暴れ出し、慌てて看護師・医師複数名で抑止しに行ったことすらあります。

 世界各地の病院へ入院している数多の患者で生じ, また数多の医療関係者が経験し対処しているであろう「せん妄」という病態に関して、裁判所がこんなにいい加減な解釈を行ったことに対して、私は負の感情を覚えました。現場の医療スタッフの専門知・経験に基づく証言を軽くあしらい、自称『専門家』の証言内容を都合の良いように解釈した事に対して、「専門知・科学の軽視」の存在すら感じます。

 また、警察(科捜研)の証拠鑑定の実験データ・試料保全の杜撰さには目をつむり、寧ろ科学的な証拠として採用した事に関しては、私は裁判所に対して怒りを通り越して敵意しか感じません。これもまた、「専門知・科学の軽視」と言う他ありません。

 更に、複数名を死傷させた自動車暴走事故を起こした元高級官僚は収監されず・公判は未だ開始されず, 森友・加計学園問題では、不正行為の決裁へ関与したとされる安倍首相や佐川元理財局長らには未だにロクな処罰・処分が下されず, また最近でも記者と賭け麻雀に興じた黒川元検事総長は不起訴と、いわゆる『上級国民』はロクな裁判も捜査も無しでのうのうと人生を謳歌している一方で、現場で患者の健康・生命の為にキツい労働環境でも日々尽力している医療従事者が、いい加減な捜査と司法の判断によって有罪となり今後の生活も破壊されるという理不尽な現状に、私は怒りを禁じ得ません。「COVID-19のパンデミックさえ無ければ、米国における"Black Lives Matter"運動に倣って抗議デモをやりたい」と思う医療従事者はどれほど居るのでしょうか?軍隊並みに武装して攻撃的になった警官による一般市民への暴力や, 政治家・高級官僚による汚職, 一般市民に対する冤罪への批判・怒りはごもっともですが、こうした医療関係者に対する警察・検察・司法の不当な判断に対する抗議の声はもっと広がって良い筈です。

私が運動会/体育祭や体育会系部活を嫌う理由。

 都道府県によるとは思いますが、未だにCOVID-19の影響で大規模なイベントが軒並み中止, ないし延期されており、学校における部活や大会なども同様となっているようです。中には残念がる声も上がっているとは思いますが、私はここで敢えて提言します。「その部活やイベントは本当に必要ですか?」と。パンデミックの有無に関わらず、私は部活動や学校で行われる体育会系のイベントの存在に対して異なる考えを持っています。今回はその理由を交えて私の考えを書いていこうと思います。

 

(1) 運動会・体育祭の汚点

 運動会や体育祭と聞けば、「家族が総出で応援に来てくれるし、クラス, 学年, 或いは◯組が一体となって競争することで達成感を得る一大イベント」というイメージが普通ならば強いかもしれません。

 私には、(今思い返せば)一種の悪夢に過ぎませんでした。例えば小学生の時、学年全体でダンス(と言うよりマスゲーム)を踊る種目があり、運動会が近づくと体育の授業は徒競走やそのダンスの予行演習に費やされました。しかし私の場合、周囲と比べて運動神経は悪かったですし, 「振り付けなどのペースを周囲と合わせてやる」といった作業が苦手でした。練習の時には担任や同級生から「なんで出来ないんだ!」, 「やる気あるのか!」, 「いい加減覚えろ!」的な叱責や罵声を浴びることになりました。そしてこれがいじめにも繋がったことは言うまでもないでしょう。

 他にも、小学校ではよく長距離走のイベントがあるのですが、これもまた時期が近づくと体育の授業が予行演習に変わります。運動神経が悪く、持久力に乏しい(それでも大学で水泳部に居ましたが)私には毎年これへの参加が苦痛でした。しかも、本番のタイムが練習時より悪かったら、担任から「努力が足りないんじゃないの」と吊し上げを喰らう始末。テメーに何が分かるんじゃボケ!他にも、三十人三十一脚, ドッジボール大会もありましたが、散々であった事は言うまでもないでしょう。周囲の私に対する評価も散々で、『怠け者』, 『出来ない奴』というレッテルを貼られていったのです。

 その後、私は私立の中高一貫校に進学する訳ですが、そこでも悪夢は続きます。まず1つ目はクラスマッチです。同じ学年内のクラス対抗で球技大会をする訳ですが、私は周囲の男子どもの圧力で希望した競技(サッカーやソフトボールなど)から尽く排除され、希望すらしていない卓球やバドミントンへ回されます(こっちの出来も散々でしたが)。普段から体育の授業で周囲から見て私が『ヘマばっか』していたからでしょう。例えばサッカーの場合、ゴールキーパーをやらせても他の人が止められるボールが阻止できない。ボールを奪おうとして相手選手にモロに激突してしまう。果ては危うくオウンゴールしかける。このクラスマッチの本来の目的は『スポーツでの競争を通して親睦を深める』であった筈ですが、私は開始前から差別されていた訳です。

 そして、2つ目の私の悪夢は体育祭です。運動神経が悪いので徒競走・リレーではほぼ期待されていなかったのは言うまでもないと思いますが、中学校・高校時代最大の悪夢は応援団への加入を拒否されたことです。中学校3年の時、同期や先輩らの華麗な応援や演舞に憧れて、同級生へ「入りたい」と言う旨を伝えましたが「お前は協調性がない」等と言われて猛反対されました。しかも一旦応援団に入ると、きつい練習への参加が強制されるのです。私が居た中学・高校の体育祭は9月にありましたが、応援団の募集・練習開始は早くても7月上旬。夏休みの8月も返上して日中は炎天下の校庭や体育館で練習を続け、9月に入ると夜まで練習し続けると言う念の入れようです。同級生からの胸糞の悪い拒絶も大概なのですが、自分の時間を奪われるような日程も私が応援団入団を諦めた要因です。仮に加入していたとしても、先輩や同級生からの私的制裁でいたずらに消耗していたでしょう。

 このように、小学校〜高校を通じて行われる体育の授業, ないし体育会系のイベントは、「運動が苦手」, 「周囲と協調した運動へ順応するのにひと工夫が必要」といった要素を持つ人間を共同体(=クラス, 学年, 学校)の辺縁, 或いは最下層に追いやり、小児期・思春期という多感な時期にトラウマを植え付ける負のイベントとなりうるのです。

 

(2) 体育会系部活も最低

 高校卒業後、現役で国公立大学医学部医学科に合格した私は、「高校では女子にモテず(実際彼女なんてこれまで居たことがありません), 男子からも散々だった。でも大学に入ったらそんなキャラクターから脱却してやるぜ!」などという、合理的な根拠もない楽観論を抱いたまま軽いノリで水泳部に入ります。大学で私が築いた人間関係は、小学校〜高校と比較すればだいぶマシな(恵まれていた)方であったとは思いますが、やはり苦痛を伴いました。

 まず、そもそも私は中学・高校と部活には入っていなかったので初めて「先輩・後輩関係」を経験することになります。確かに、社会人になればそういった上下関係はつきものなので経験・学習し始める時期が早いに越したことはないのかもしれません。しかし一方で、このような体育会系部活における上下の力関係や同調圧力は私に新しいトラウマ(?)を植え付けたのです。部活内では常に(練習, 大会中, 大会前後の移動中はまだしも飲み会の最中ですら)「後輩が率先して、先輩の代わりに『仕事』を請け負うこと」, 「後輩にも気遣いを見せること」, 「プライベートよりも部活を優先すること」等を要求されます。元々私はそんな気の利く人間ではありませんので、先輩はまだしも同期から冷たい目で見られ始める訳です。「あいつは出来ない奴」, 「仕事を頼めない」等の偏見が常に付き纏い、果ては飲み会の最中に泥酔した先輩や同期からゴミ呼ばわりされる始末。「せめて社会人(医師)になる前に、真っ当な青春時代を過ごしたい!」という私の希望は、脆くも体育会系の論理を前に砕け散ったのです(まあこれでも6年間水泳部には所属していた訳ですが)。結局、体育会系の部活動も私に新たなトラウマを植え付けるだけで終わりました(当時腹筋が割れて、いわゆる"6 pack"体型にはなれましたが、卒業後は運動する機会が激減し今は元の脂肪まみれの体に逆戻りしています)。

 私の場合、体育会系部活の経験は大学のみですが、このような負の要素は中学・高校に共通しうる事は言うまでもないと思います。特に、「目上の人間(≒先輩)に倣い行動し, 言う通りにすべき」と刷り込まれる事には負の側面もあると私は考えます。その『目上の人間(≒先輩)』の指示や意図が不合理的, 非倫理的, 不正であっても、拒止出来る人間が居なくなります。そして指示通りやったことで望ましくない結果が生まれたとしても、指示を出した目上の人間が責任を取らずに、指示を受けた『目下の人間(≒後輩)』が腹を切らされる場合もあるからです。1939年のノモンハン事件の際、ソ連・モンゴル両軍の兵力・装備・火力を甘く見積もった関東軍上層部は敵軍陣地への攻撃と兵力逐次投入を繰り返して自軍の損耗を拡大させます。しかし日ソの講和が成立した後、関東軍の幹部はさしたる処分を受ける事はなく、中には対米英開戦後に南方戦線へ栄転した参謀すら居ました。他方、前線で敵軍と対峙した部隊長の多くは戦死するか部隊壊滅時に自決し、生還しても「許可なく持ち場から後退した」と責められ自決させられた者すら居ました。また捕虜交換でソ連から帰ってきた将校らに対し、陸軍首脳部は「軍法会議前に自決させ名誉の戦士にする」という方針を示しているのです。そして最近の政府中枢が関与した不正・疑惑の報道を見ていても、「上層部が責任を取ろうとせずに、下部組織や配下の人間が代わりにツケを払う」という風土は未だに日本に残っているようにも思われます。

 

(3) まとめ

 多くの人にとって、運動会/体育祭やクラスマッチ, 部活動は青春の1ページとも言うべき、かけがえのない記憶かもしれません。しかしそれはあくまで「運動が得意」, 「周囲の人間と人間関係を構築するのに一切支障は無かった」, 「自分の個性を犠牲にしてまで周囲に溶け込む事を厭わない」etc.といった特徴を備えた人間の視点です。こうした特徴が一つでも『欠落』している人間は、たとえ他に長所や得意分野/特技(周囲の理解, ないし共感を得られにくいものも含む)を備えていたとしても、体育祭・部活のような環境・イベントにおいては落伍者, 或いは賎民の如き扱いを受け続けその結果として自分の個性を圧殺したり、自尊心/自己肯定感を失ってしまうという事実も忘れないで頂きたいものです。

 また、これは部活動に限った話ではありませんが、有無を言わせない上下関係は時として好ましからざる結果をもたらす場合が多々あります。パワハラ上司の命令に抵抗も告発もできず、体調を崩すor自殺を選んだり, 明らかに非合理的・悪質な指示を出す上層部に反論できず事故や不正に加担させられたりと、寧ろ百害あって一利なしではありませんか。こういった欠陥を、少しずつで良いから修正・撤廃していくのが我々良識のある有権者/国民の仕事であると思います。

東京女子医大のニュースを聞いて色々考えてしまった。

 さて今週に入り、東京女子医科大学附属病院に関して衝撃的(?)なニュースが飛び込んできました。Covid-19パンデミックが日本にも波及する中、病院の経営が悪化したことを理由に同病院では看護師に危険手当等を至急しないどころか、夏のボーナスを支給しないことも決まっていたそうです。それに加え、病院の施設(理事長室など)を6億円かけて増築・改修したことが判明。それを契機に看護師側の不信感や不満が爆発したのか、400名が退職を希望したそうです。

 この現状を見聞きして、私はアジア太平洋戦争中の日本軍兵士を連想してしまいました。例えば1942年のガダルカナル島攻防戦の際、前線の日本軍部隊は、米軍の航空攻撃のせいで十分な武器弾薬や食糧が届かぬまま、同島に作られた飛行場の奪還の為に2回の総攻撃を行いいずれも失敗に終わりました。皆様もご存知の通り、多数の戦死者に加え、マラリアでの病死や食糧不足による餓死が多かったことでも悪名高い作戦です。

 医療スタッフの場合、SARS-CoV-2に感染・発症し入院, 最悪の場合死亡するリスクが常に付き纏う状況で、給与 ー 換言すれば『補給』・『兵站 ー が削られたまま努力(しかも、人様の健康・生命を預かる重大な業務)を求めらているのです。医療スタッフの場合、給与が減ったことで必ずしも餓死する訳ではありませんが、モチベーションは下がるでしょう。ガダルカナル島では戦死・病死・餓死で兵士が居なくなりましたが、東京女子医大の場合は退職によって前線のスタッフが居なくなりつつあるのです。

 加えて上記ツイートが示すように、なんと大学側の弁護士は「看護師が退職した分は新たに雇って補充する」と労働組合へ回答したようです。1939年に勃発したノモンハン事件の際、関東軍は火力・兵力に勝るソ連軍に対して兵力逐次投入を繰り返しました(関東軍の損失は拡大し、結局ソ連軍を打ち負かせなかった)。ガダルカナル島攻防戦も、総攻撃前の約2,000人からなる支隊による攻撃(対する米海兵隊はその時約10,000人), 第一次総攻撃, 第二次総攻撃とこれまた兵力逐次投入を繰り返しました(そして島は奪還できずに撤退)。「ジリ貧な状況で人手が減ったから、逐一補充してやり過ごそうとする」 ー デジャヴで無ければ、何なのでしょうか?

 またミッドウェー海戦マリアナ沖海戦で日本軍は多くのベテランパイロットと航空機を喪失し、未熟なパイロットの占める割合が増えて航空戦力が弱体化しました。その結果、1944年の台湾沖航空戦では米海軍はほぼ無傷なのに戦果を誤認し, その後のレイテ沖海戦では米軍の上陸を阻止することが出来ませんでした。またレイテ沖海戦以降、苦し紛れで生まれた神風特攻隊の運用が本格化しましたが、特攻隊の航空機・パイロットの喪失に比して米海軍艦艇の損失があまりにも少ないという結果に終わっています。今日の医療現場でも、若手医療スタッフの取り扱いは特攻隊を彷彿とさせるものがあります。今後もその傾向が強まることを懸念せざるを得ません。

「世界史に影響を与えた人物」に医療関係者も加えたい。

 私は暇さえあればよくYouTubeを試聴するのですが、最近ハマっているチャンネルがあります。『俺の世界史ch』といって、世界史好きなチャンネル所有者(歴史専門の家庭教師のようです)が世界史に関する様々な知識を披露しています。 

そのチャンネルが上げている動画シリーズの中で、「世界史に影響を与えた人物ランキング」なるものがあり、チャンネル所有者が選抜した100名を下位から順に紹介(7/2現在、95位[6/24に公開]までが紹介されている)しています。

 そこで今回、「世界史(人類史)に影響を及ぼしている」と思う歴史上の医療関係者を私の独断と偏見で選出し、ここで紹介します。なお今回、敢えて順位は付けません。

 

1. アンドレアス・ベサリウス

 16世紀、パリ大学で学んでいたブリュッセル(現ベルギーの首都)出身の医学生ベサリウスは、大雑把な解剖実習に不満を持ち、墓場や処刑場から持って来た遺体を使って自分で解剖を行いました。そして画家の協力を得て精細なスケッチを行い、図版・書籍として刊行しました。

 その後18世紀末になると、英国の解剖学者マシュー・ベイリーが『人体のもっとも重要な諸部分の病理解剖学』という教科書を発表します。ベサリウスが正常な人体の解剖を研究したのに対し、ベイリーは病気になった人体(e.g. 悪性腫瘍)の解剖を研究したのです。この2名の研究が外科医にとって重要なアトラスとなったのは言うまでもないでしょう。

 

2. イグナーツ・ゼンメルワイス

 19世紀まで、手術時に医師は手袋も付けなければ手も洗わず、手術着や手術台は血で汚れ、手術器具は水で洗う程度であったそうです。そのため、例えば1840年のウィーン総合病院では、妊婦のうち3人に1人が産褥熱で死んでいた(医学生が検死解剖後、手を洗わないで病棟に行っていたから)そうです。しかし産科学生が病棟を担当した場合は死亡率はわずか3%。これに目をつけたのがゼンメルワイスです。

 彼は医療スタッフに、石鹸と塩素水で手を洗うよう指導したところ死亡率は激減しました。しかし彼の主張は当時、すぐには受け入れられませんでした。

 

3. ジョセフ・リスター

 19世紀、外科手術後の感染が問題視されていました(2. の経緯を見れば原因は一目瞭然ですが)。そんな中、1860年代にスコットランドのリスターは後述のルイ・パスツールの実験から着想を得て、「空気中の細菌が手術後の創部に着くから炎症や化膿が起こるのだ」と考えます。そしてリスターは手術部位や創傷に着いている細菌を排除するため、当時下水の浄化に使用されていたフェノールを消毒に利用し始めました。これにより死亡率が下がり、20世紀初頭までには(医療における)「消毒」という概念が受容されるようになりました。ゼンメルワイスとリスターが居なければ、手術は不潔なまま行われていたかもしれません。

 

4. ウィリアム・モートン

 19世紀まで、手術は麻酔なしで行われていました。しかし1846年に転機が訪れます。同年、米国の歯科医モートンマサチューセッツ総合病院の外科講堂でジエチルエーテル(以下、エーテルと呼ぶ)を用いた公開手術を行いましたモートンが頸部血管腫瘍の患者にエーテルの蒸気を吸入させ、患者が眠ったところで外科医が手早く腫瘍を切除。目覚めた患者は「痛みはなかった」と述べましたこれが麻酔(全身麻酔)の始まりとされています。麻酔は、上記2, 3の消毒・清潔と並んで安全に手術を行う為に不可欠な要素です(術者である外科医や麻酔科医ら医療スタッフの能力も重要な要素ですが)エーテル以降、麻酔に使う薬剤や機械/技術の革新が繰り返され現在に至っているのです。

 

5. ルイ・パスツール

 古来、ペスト, コレラ等の疫病(感染症)の原因は、地中に埋まった死体やその他腐敗した物質から生じる『瘴気』が原因と考えられてきました(但し16世紀には既に、「何らかの目に見えないモノ[≒微生物]に感染することが原因だ」と考える医学者が居たそうです)。

 そして1880年代、顕微鏡によって細菌が見えるようになることで転機が訪れます。1877~79年にパストゥールは炭疽菌を発見。また彼は、空気に曝された肉汁が腐敗する一方で、滅菌され真空となった容器へ肉汁を入れると腐敗しないという実験を行い微生物の微生物の存在を証明(生物の自然発生説を否定)したことでも有名です。後述するコッホと並んで、微生物(細菌)が感染症の原因であることを示した点では重要な人物だと思います。

 

6. ロベルト・コッホ

 コッホはパストゥールと同時代に活躍、1882年に結核菌を, 1883年にはコレラ菌を発見しています。他にも細菌培養法の基礎を確立したり感染症の病原体を特定する指針の一つ「コッホの原則」を提唱した人物でもあります。上述のパストゥールと同様、微生物(細菌)が感染症の原因であることを示した点では重要な人物であります。

 

7. エドワード・ジェンナー

 乳搾りの娘が天然痘にかからないことに着目した英国の医師ジェンナーは、牛痘を被験者に接種して回ります。その後、被接種者が天然痘へ免疫を獲得し, また人体への危険性が無いというデータを得たジェンナーは1798年にその成果を世界中へ公表しました。以後、牛痘による種痘は全世界へ広まっていきます。

 なお、ジェンナー以前から種痘は存在しており、トルコなどの中東では天然痘患者の膿疱から採取した膿を被接種者の皮膚に付けた傷へ浸透させる等の方法が取られていました。しかしこの方法は、接種された人間が重症の天然痘を発症することも一定の割合でおり、中には死亡する人も居ました。この方法が1721年には英国に導入されますが、普及は限定的で都市部には伝播していませんでした。

 

8. ジョン・スノー

 1854年にロンドン中心部の1地区でアウトブレくを起こしたコレラを調査した結果、汚染された水源を特定。疫病が瘴気でなく感染によるものであることを示唆するデータではあったが、当時は注目されませんでした。1880年代の顕微鏡によるコレラ菌発見より前の出来事ですから、「疫学的に感染症を研究した最初の医師」という点では重要な人物だと思います。

 

9. カール・ラントシュタイナー

 1900年に血液型(ABO)を発見。これにより輸血が安全となりました。それ以前から病院・怪我人への輸血は試みられていたそうですが、血液型不適合に伴う失敗(死亡)もそれなりに多かったと思われます。

 

10. アレクサンダー・フレミング

 1920年代に世界初の抗生物質ペニシリンを発見した人物です。なお、細菌学者であった彼はカビからペニシリンの精製を試みましたが上手くいかず、1940年代に別の研究者が精製に成功、そこから大量生産が可能となりました。当時は第二次世界大戦真っ最中であったため、大量生産されたペニシリンは多くの傷病兵を感染症から救ったとされています。

 

11. フローレンス・ナイチンゲール

 看護師の開祖(?)的存在であるナイチンゲール彼女の功績は、単にクリミア戦争における傷病兵への敵味方を問わぬ献身的な看護に限ったものではありません。現地で傷病兵を収容する病院の衛生改善に着手し、その結果死亡率を改善させます。また戦地から帰国後は、病院に関する報告書を解析して死因別の死者数などを可視化した功績から、統計学者ともされています。

 

12. ヨーゼフ・メンゲレら

 ダーウィンによる進化論の発表(1859年、『種の起源』を発刊)や, メンデル(1860年代に、エンドウマメの交配実験の結果を発表)とド・フリース(1900年頃に植物の交配実験を行い、『突然変異体』の概念を初めて提唱。またメンデルの論文を再発見した一人でもある)による遺伝法則の発見を受け、「ヒトの『劣った』遺伝形質を将来の世代に残さないようにする」ことを理想に掲げる『優生学』が20世紀初頭に誕生、世界中に伝播します。

 そしてドイツでは優生学が凄惨な結果をもたらします。アドルフ・ヒトラー率いるナチス政権は、ユダヤ人・ロマ人に加えて、身体障害者, 精神疾患(と見做された場合も含む)患者, 精神発達遅滞(と見做された場合も含む)の人, 同性愛者らが「生きるに値しない命」とされて『安楽死』の対象になったり, そうでなくとも断種(不妊)手術を行われました(なお強制的な不妊手術は、日本や米国でも行われていた)。またナチス優生学プログラム推進のため、学術的な研究を支援。そうした研究者の中には、強制収容所の囚人へ人体実験を頻繁に行い『死の天使』と呼ばれたメンゲレも含まれていました。

 第二次世界大戦終結後の1946年、この人体実験に関わった医師らもニュルンベルグで戦犯として裁かれることになります。その時の判決文が人を対象にした研究に関する倫理原則である『ニュルンベルグ綱領』と呼ばれているのですが、これを基に1964年、世界医師会がヘルシンキ宣言を採択。それ以降も改訂が何度か行われていますが、今日でもこの宣言が臨床試験(人を対象にした研究)に関するコンセンサスとして用いられています。後述する731部隊, エガス・モニスらと並んで、「医学の負の歴史として記憶されるべき人物」だと判断したので選出しました。

 

13. 731部隊

 日本もアジア太平洋戦争中、731部隊なる部隊を編成していました。日本の傀儡国家となった満州国において、囚人(漢人, 満州人, ロシア人など現地住民)を対象にチフス, ペストなどの細菌兵器の試験の他、凍傷, 銃創などの侵襲にどこまで人体が耐えられるかといった人体実験を行っています。こちらの方は、戦後にソ連側のハバロフスク裁判で裁かれた者は一部居たものの、責任者であった石井四郎は連合国側(米国)と取引し、研究データを引き渡す代わりに戦犯としての訴追・処罰を逃れています。こちらも、「医学(そして日本の)負の歴史として記憶されるべき」という意味で選出しました。

14. エガス・モニスら

 医療関係者なら一度は聞いた頃があるかもしれない術式、ロボトミー(前頭葉白質切除術)でノーベル医学・生理学賞を受賞した人です。なおこれも、12, 13と同じ「負の記憶/遺産」という意味での選出です。

 始まりは1888年、スイスの医師ゴットリープ・ブルクハルトが、幻覚を訴える精神疾患患者ら(当時の診断基準なので、統合失調症とも限らない。脳炎もありうる[私の意見ですが])へ開頭手術を行い、大脳皮質の一部をスプーンでえぐり取ったことに始まります。患者の術後経過は様々で一部は『大人しくなった』一方で、多くは何年も後遺症に苦しむ, 或いは 術後合併症で死亡し, 中には自殺した患者も居たそうです。その後ブルクハルトは、当時の医学界から野蛮と見做されたこともありこの手術を止めました。

 しかしながら1930年代後半になると、米国内の施設に収容されている精神疾患患者が40万人へ膨れ上がったことをきっかけにロボトミーは復活します。1935年、神経科医のモニスは慢性的なうつに罹患していた女性患者の頭頂部に穴を開け、前頭葉エタノールを注入して壊死させる手術を初めて行います。その後、モニスは手術器具を改良し前頭葉切除専用のメスを開発。精神疾患患者へ次々とロボトミーを行います。多くの患者は術後すぐに精神病院へ送り返された(症状が改善した訳でない)にも関わらず、彼は上記の如くノーベル賞を受賞しました。

 また、モニスに倣ってロボトミーを実施し、彼よりも活発に宣伝を行って世間に広めた医師が居ました。神経科医のウォルター・フリーマン脳神経外科医のジェームズ・ワッツです。彼らの最初の手術は1936年であり、やはり患者の多くは術後の改善が乏しい, もしくは自発的な行動がなくなり, 幻覚も治らないケースが多かったのですが、彼らはロボトミーの効果の宣伝を止めませんでした。更に、フリーマンは開頭せずにアイスピックを眼窩経由で前頭葉に刺す新しい術式を編み出します。しかしその後、1960年代末になると抗精神病薬クロルプロマジンが開発されて精神症状を抑えることが可能になったこと, 手術した女性患者が脳出血で死亡したことでロボトミーは実施されなくなりました。

 この手術は、患者の人格を破壊すること, 治療効果が明らかでないのに過大な侵襲を与えている(寧ろ害になっている)ことから、当時から批判的な意見が上がっていました。これも上記12, 13同様、医学の負の歴史として記憶されるべき人物なので選出しました。

 

15. ヴィルヘルム・レントゲン

 言わずと知れた、X線を発見した人です。彼の名前がそのまんま単純X線撮影装置の呼称となっています。X線が今日でも臨床における基本的な検査の一つであることは言うまでもないでしょうし、そもそもX線が発見されていなければ、CTという(被曝線量は増えるけど)診断に大いに役立つ装置も生まれていませんでしたね。

 

 最後になりますが、今回の記事を書くにあたり参考にした文献を紹介します。

1) 『がん 4000年の歴史』著者; シッダールタ・ムカジー, 早川書房

2) 『世にも危険な医療の世界史』著者; リディア・ケイン, ネイト・ピーターゼン, 文藝春秋

3) 『疫病と世界史』著者; ウィリアム・H・マクニール, 中公文庫

4) 『遺伝子 親密なる人類史』著者; シッダールタ・ムカジー, 早川書房

これらの本でカバーしきれない部分は、適宜Wikipediaを参考にしました。なお、「他にこうゆう人も居るぞ!忘れんな!!」という候補者が居たら遠慮なくご教授ください。