Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

東日本の某県に勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

「乳腺外科医『わいせつ行為』事件」が2審で有罪 ー でも司法に医療関係者は怒っている!

 以前、乳腺外科医が病院内で女性患者へ『わいせつ行為』をしたと警察に通報され、刑事訴訟になっていた案件について紹介したと思います。そしてこの案件は東京地裁における1審では無罪判決が下っていました。実はその後、原告側が上訴し東京高裁で2審が行われていたのですが、なんと去る7/13に1審と逆の判決が出ていたのです。

 まず、東京高裁の裁判官が何を根拠に有罪・懲役2年と判決を下したのかをまとめてみます。

① 原告女性がせん妄であったかについて

 裁判官はせん妄について、「せん妄はあったが幻覚があったとは言えない」という検察側証人の証言を採用し、「仮にせん妄であったとしても、せん妄に伴う幻覚は生じていなかった」と判断。また1審における看護師らの「原告女性はせん妄を来していた」という証言について、病院関係者が被告にとって有利な発言をする可能性があること, カルテに「覚醒良好」との記載があったことから採用されませんでした。

 

※ せん妄について

 『救急診療指針 改訂第5版』(一般社団法人 日本救急医学会が監修)によると、せん妄は「急性に出現する、意識・注意・近くの障害であり、症状は変動性であることが特徴」であり、特にICUで高頻度に認められます。せん妄には、1. 易刺激性, 興奮, 錯乱, 幻覚等を伴う過活動型 と、2. 注意力低下, 不活発, 不適切な会話等を伴う不注意型, 3. 両方の症状がある混合型, の3つのサブタイプが存在します。

 脳疾患, 臓器不全, 感染症, 水・電解質・栄養・血液学的異常, 薬剤の副作用や薬剤の離脱(e.g. ベンゾジアゼピン睡眠薬を長期的に内服していた人が入院を契機にその薬剤の内服を突然中断した, 長期的にアルコールを多飲していた人が入院によって突然飲酒を止めた場合など)といった直接的な原因へ、頭痛・睡眠の妨害・心理的ストレス等の促進因子と, 加齢・認知症といった背景因子が関与することで発生します。

 

② 科捜研のDNA定量検査について

 1審では、科捜研がDNAの増幅曲線や検量図のデータを残していないこと, DNA抽出液を証拠鑑定後に破棄したことから、証拠不足と判断され「証明力が十分でない」と指摘されていました。ところが2審では、科捜研の鑑定の「科学的厳密性に議論の余地がある」と言いながらも、原告女性の「証言の信用性が補強できる」鑑定結果であると判断したのです。

 要するに、(検察側と)裁判官らは、1. せん妄状態についてロクに理解もしないまま, 2. 実験データや証拠の保全が杜撰な科捜研(警察)の鑑定結果を証拠として採用した訳です。

 せん妄について上記のように専門書から引用した記述で説明しましたが、これは頭部外傷, 肺炎や腎盂腎炎等の感染症とそれに伴う敗血症, 急性薬物中毒といった重症状態の入院患者や, 全身麻酔手術後の患者では年齢・性別を問わず起こりうる病態なのです。医学部6年生の時、国家試験対策予備校の講義ビデオで鎮痛薬のケタミンについて「鎮静効果と鎮静効果両方があり, 尚且つ呼吸抑制を来さず, 交感神経刺激作用のため血圧低下を来さないので、子宮内反症のような産婦人科領域の緊急性を要する疾患への処置の際に使うことがあったが、女性患者が医療スタッフに対して『悪魔が居る』と言い始めるなど幻覚・悪夢の副作用もある」という旨の解説を講師がしていたことを朧げながら記憶しています。事実、救急医療の現場でも広範囲熱傷の患者の創傷へ処置を行う際にこのケタミンを使用することが多々あるのですが、患者が状況にそぐわぬ奇妙な発言をすることがあります。また、元々認知症が背景にある高齢者が入院した後、夜に眠らずに病室で騒ぎ出したりした事は私だって何回も経験していますし、アルコール依存症が背景にある患者が入院後に幻覚によって暴れ出し、慌てて看護師・医師複数名で抑止しに行ったことすらあります。

 世界各地の病院へ入院している数多の患者で生じ, また数多の医療関係者が経験し対処しているであろう「せん妄」という病態に関して、裁判所がこんなにいい加減な解釈を行ったことに対して、私は負の感情を覚えました。現場の医療スタッフの専門知・経験に基づく証言を軽くあしらい、自称『専門家』の証言内容を都合の良いように解釈した事に対して、「専門知・科学の軽視」の存在すら感じます。

 また、警察(科捜研)の証拠鑑定の実験データ・試料保全の杜撰さには目をつむり、寧ろ科学的な証拠として採用した事に関しては、私は裁判所に対して怒りを通り越して敵意しか感じません。これもまた、「専門知・科学の軽視」と言う他ありません。

 更に、複数名を死傷させた自動車暴走事故を起こした元高級官僚は収監されず・公判は未だ開始されず, 森友・加計学園問題では、不正行為の決裁へ関与したとされる安倍首相や佐川元理財局長らには未だにロクな処罰・処分が下されず, また最近でも記者と賭け麻雀に興じた黒川元検事総長は不起訴と、いわゆる『上級国民』はロクな裁判も捜査も無しでのうのうと人生を謳歌している一方で、現場で患者の健康・生命の為にキツい労働環境でも日々尽力している医療従事者が、いい加減な捜査と司法の判断によって有罪となり今後の生活も破壊されるという理不尽な現状に、私は怒りを禁じ得ません。「COVID-19のパンデミックさえ無ければ、米国における"Black Lives Matter"運動に倣って抗議デモをやりたい」と思う医療従事者はどれほど居るのでしょうか?軍隊並みに武装して攻撃的になった警官による一般市民への暴力や, 政治家・高級官僚による汚職, 一般市民に対する冤罪への批判・怒りはごもっともですが、こうした医療関係者に対する警察・検察・司法の不当な判断に対する抗議の声はもっと広がって良い筈です。