Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

東日本の某県に勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

「ヒドロキシクロロキンに関する論文を撤回」と言うので原文を当たってみる。

 去る6/5、「COVID-19の治療薬として期待されていた薬剤の一つ、ヒドロキシクロロキン に関して『死亡リスクが上がる』と報告していた論文が撤回された」とするニュースが出回り衝撃が走りました。下記のニュースリンクにもあるように、既に識者(忽那賢志先生)による一般向けの解説があり、そちらの方が分かりやすいとは思います。

 ですが今回は敢えて、英国時間で6/3(水曜日)の午後に公表された現地紙"Guardian"による、今回の『疑惑』に関する記事を紹介してみようと思います。

 

(1) はじめに

 まず、今回撤回に至った論文はヒドロキシクロロキンに関するものだけではありません。正確に言うと、

  1. NEJMに掲載された「ACE阻害薬・ARBはCOVID-19患者の重症リスクとならない(それに加えて、男性, 心血管疾患, 慢性呼吸器疾患等は重症化のリスクである)」とする論文
  2. Lancetに掲載された「COVID-19患者へのクロロキン・ヒドロキシクロロキン投与は死亡リスクと心臓合併症を増やす」とする論文
  3. Social Science Research Networkに掲載された「重症COVID-19患者への抗寄生虫薬イベルメクチンの投与は死亡率を低下させた」とする論文

の合計3つです。なおこれら全てに「世界中の1,200ヵ所の病院が登録しているデータベース」を運営する企業、"Surgisphere"の最高責任者Sapan Desai氏が共著者として名を連ねています。

 

(2) 論文のどこが不味かったのか

 上記1.の論文は今年の5/22に発表されました。この研究はSurgisphereのデータベース由来の「671ヵ所の病院に入院したCOVID-19患者96,000名の情報」を元にしたとされていました。しかし、後日Guardian Australiaにより以下のような矛盾点が見出されました。

  • Desai氏は、オーストラリアから収集したデータについて「5病院がデータベースに参加し、4/21までに600名のCOVID-19患者・73名の死者を記録した」としている。
  • しかしJohns Hopkins大学のデータは4/21の時点で、オーストラリアの死者数は67名だと示している。(これについてDesai氏は「誤ってアジアの病院のデータを入れてしまった」と説明した)
  • Guardianメルボルンの5病院とシドニーの2病院に連絡してみたが、いずれも上記のようなデータベースに参加していないSurgisphereという会社も知らないと回答した。(これに関する問い合わせへDesai氏は返答せず)

 これを受けて、NEJMとLancetは水曜日(6/3)付けで1.の論文に関して懸念を表明し、調査を開始していたのです。

 

(3) Surgisphereへの疑惑

 さて(1), (2)で問題になったSurgisphereは2008年、Desai氏により教科書を出版する医学教育関連会社として設立したそうです。しかしその会社の内容というのも胡散臭いものだそうで、

  • Desai氏はSurgisphereについて11名の従業員が居ると説明したが、"LinkdIn"に載っているデータによると、この11名はたった2ヶ月前(4月頃)に雇われたばかりであり、うち数名は科学的or統計学的な背景すら無く、中にはSF作家や成人向けモデル(AV女優みたいな職業のこと?)すら居た。
  • 問題の論文の記述やSurgisphereのウェブサイトを見ても、世界中の異なる国・地域にある病院からどのようにしてデータを収集したのか不明である。
  • 同社の"QuartzClinical"というサービスは各病院の電子カルテからのデータ取り出し等の手間の掛かる作業を代行し, 「電子カルテシステム・財務システム・物品供給・品質管理プログラムといったものを1つのプラットフォームに統合する」ことを売りにしている。
  • しかし、Desai氏は問題の論文に使用したデータについて電子カルテからのデータの取り出し, データ辞書の要求するフォーマットへの変換, データの十分な同一化(fully deidentifying the data)は医療機関のパートナーに行ってもらっている」Guardianへ回答しており、上記のQuartzClinicalが提供するサービス内容と矛盾している。(この矛盾を指摘されてもDesai氏は説明していない)
  • 月曜日(6/1)まで、Surgisphereのホームページにある"get in touch"(連絡する or お問い合わせ?)のリンクをクリックしても暗号通貨のウェブサイトへ飛ばされた。

といった実態が判明したそうです。記事に登場する識者の一人は同社を詐欺と表現しています。

 

(4) Desai氏について

 Surgisphereの責任者で問題の論文の共著者でもあるDesai氏の経歴も、曰く付きのものだそうです。

  • 米国内で血管外科医として働いていたが、3件の医療事故で訴えられている。うち2件は2019年11月に、Desaiがイリノイ州の病院で働いていた時に訴訟が起こされている。彼は2016年6月からその病院に勤務していたが、2020年2月に「個人的な理由」で自己都合退職している。
  • Desai氏は2008年に、「次世代の人間強化装置(next generation augumentation device)」, 「洗練されたプログラム・最適神経誘導点・試験された本物の結果によって、あなたをヒトの進化の頂点へ上昇させる」と銘打って"Neurodynamics Flow"というプロジェクトをネット上で公表してクラウドファンディングを募り200〜300ドルの資金を獲得しているが、このプロジェクトは未だに実現していない。
  • Desai氏に関するWikipedia記事は2010年に登場し、彼が「法学の博士号と, 解剖学・細胞生物学のPhD, 医師免許を持っている」等との記述があったが、今回の『疑惑』が浮上してからは削除された。
  • ある国際医学会のパンフレットでは、Desai氏は「臨床現場で複数の医師の指導的役割を果たし、"Lean Six Sigma"なる経営手法の"Black Belt"という資格を持っている」と紹介されている。

 医療訴訟に関しては詳細が分かりかねますが、私としては、学会の自己紹介プロフィールやWikipediaに医学/医療と関連性が薄い資格ですらやたらと並べたがる時点で怪しいと感じます(以下の動画  ー 特に5分20秒から11分6秒の部分 ー をご覧頂ければ、その感覚がご理解頂けると思います)。

 上記の忽那先生による記事にもあるように、NEJM, Lancetは非常に影響力が大きいジャーナルですので、医療関係者の間では衝撃が走りました。今回のCOVID-19パンデミックは、新種のウイルスで治療法がなく, それなりの数の方が亡くなっているので、可能性のある治療法に関する知見が喫緊に求められているような状況です。従って、忽那先生も記事で指摘しているように、続々と提出される論文を前に論文に対する査読も甘くなってしまったのでしょう。