今日は海外の調査報道専門サイト'Bellingcat'でまた興味深い記事を発見したので、その内容を紹介します。
去る2014年10/16の午前9時25分、チェコのVrbeticeという町で弾薬庫が爆発し、管理を担当していた会社('Imex'という企業)の従業員2名が死亡しました。そして今年の4/17にチェコ当局は、この爆発にロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)の'Unit29155'が関与していたと発表しました。
今回のBellingcatの記事は、そのUnit29155の構成員, 及び 爆発事故前後の彼らの足取りに関するものです。
(1) Unit29155とは
Unit29155は、2019年に英国で起きた元KGB工作員とその娘の毒殺未遂事件, 及び 2015年に起きたブルガリア人武器製造業者毒殺未遂事件の実行犯でもあります。その構成員は以下の通りです。
- Andrey Averyanov: この弾薬庫爆発に関する作戦を監督した("supervised")。このチェコの作戦においては"Andrey Overyanov"という偽名を使用しており、通話履歴からGRUのトップ, 及び クレムリン(外務大臣のLavrovら)と直接連絡を取っていることが分かっている。
- Denis Srgeev: Unit29155の指揮官?("the senior operative")このチェコでの作戦においては"Sergey Fedotov"という偽名を使用。
- Alexander Mishkin: 英国の事件で英国警察から立件されている。チェコでの作戦における偽名は"Alexander Petrov"。
- Anatoly Chepiga: Mishkin同様、英国の事件で英国警察から立件されている。チェコでの作戦における偽名は"Ruslan Boshirov"。
- Egor Gordienko: "Georgy Gorshkov"という偽名を使用。
- Nikolay Yezhov: 偽名は"Nikolay Kononikhin"。
- Alexey KapinosとEvgeniy Kalinin: 偽名を使用せず、外交封印袋("diplomatic mail")を運ぶ外交官のフリをして入国した。
※外交特権の一つに通信の不可侵が含まれ、外交官が運ぶ外交封印袋や, 民間業者が代行して輸送する外交行嚢は保安検査・税関で開ける必要が無いとされます。
(2)事件前後の足取り
まず2014年の9/25にSergeevとGordienkoが(偽名を使って)モスクワからジュネーブ(スイス)へ空路で渡航。同日午前に2人はレンタカーを借り、5日後に返却しています。その期間中、Sergeevの携帯電話位置情報は、彼がフランスのChamonixという町(ジュネーブから60kmの距離にあるアルプスのリゾート)に居たことを示していますが、この町はUnit29155の秘密の兵站拠点("hidden logistical base")であることが分かっています。そしてその滞在中、SergeevはAveryanovと活発に連絡を取っていました。
同年10/2、今度はAveryanovがモスクワ発リスボン行きの10/4の航空券を偽名で予約しています。そして10/4にはリスボン発ジュネーブ行きの飛行機に搭乗し(=ジュネーブで部下2名と合流した?)、同6日にモスクワへ帰っています。
10/7にAveryanovと他のUnit21955メンバー4名はモスクワのGRU本部に立ち寄り、翌週のチェコ行きの航空券を購入しています。各人の予約したフライトは以下の通りです。
- Averyanov: 10/13のウィーン行きエアロフロートの便, 及び 10/15のモスクワへ帰る便。
- Yezhov: 10/11のウィーン行きの便, 及び 10/15のモスクワへ帰る便。
- MishkinとChepiga: 10/11のプラハ行きの便。帰りの便は購入していない。
- KapinosとKalinin: 10/10のブダペスト行きの便, 及び 10/15のモスクワへ帰る便。
まず10/11にMishkinとChepigaがプラハに到着し、同日中には問題の弾薬庫まで車で数時間の距離にある町Ostravaへ移動しました。AveryanovとYezhovは10/13にウィーンへ到着していますが、Averyanovの携帯電話は、それから10/16までの間に数時間しかオーストリアのネットワークに接続していません。Ostravaはウィーンから車で3時間なので、Yezhov・AveryanovコンビがOstravaまで車で移動して、Mishkin・Chepigaコンビと打ち合わせを行った可能性もあります。
チェコの警察・メディアの発表によるとMishkin・Chepigaコンビはタジキスタン人民親衛隊?("People's Guard of Tajikistan)から派遣された武器購入者に成りすました上で、Imex(弾薬庫を管理している企業)に対し、同年10/13~17の間に弾薬庫の立ち入り制限区域へのアクセスを申請していたそうです。Imexによるとこの2名は当日現れなかったそうですが、いずれにせよ上記のように同年10/16朝に弾薬庫は爆発しました。
その後の各メンバーの帰路は以下のようなものです。
- MishkinとChepiga: 爆発同日の ウィーン発モスクワ行きの便(午前10時5分に離陸)へ搭乗。
- Averyanov: 同日中にウィーンへ車で帰り、空港へ直行。前日のフライトを逃していたものの、同日午後6時17分にウィーン空港で航空券を購入し、同日午後10時46分に同地発モスクワ行きの便に搭乗した。
- Yezhov: Averyanovと一緒に車でウィーンへ帰った。その後しばらくオーストリアに滞在し, 10/27~11/2の間に帰りの航空券を複数回仮予約したが、最終的に11/3にモスクワへ空路で帰った。
なお、Averyanovのような上級指揮官が偽名で旅行することは通常ありません。既述のように、AveryanovはGRU上層部及びクレムリンと連絡を取っていたことが判明しており、この爆発事件の背後にロシア政府の関与があることをうかがわせます。加えて、参加した工作員には後日、秘密裡に勲章を授与されていることから、クレムリンにとってこのチェコにおける作戦がいかに重要であったかが分かります。
米国のCIAをはじめとする西側情報機関や軍も色々と槍玉に上げられていますが(ピッグス湾事件, 中東・ラテンアメリカ諸国への介入, イラク戦争など)、ロシア等の旧東側諸国こそ大概ですね。ロシア当局は、弾薬庫爆発に伴う経済的損失への賠償や, 犠牲者遺族への謝罪・賠償を行う気が果たしてあるのでしょうか?ナワリヌイ氏を殺しかけておきながら犯行を否定して収監したり, 支援するウクライナのドンバス地方の民兵勢力が間違って民間機を撃墜した後に知らんぷりを決め込むぐらいなので、率直なところ、誠実な対応は望めないようにも思われます。