Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

日本のどっかに勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

【ロシア】ナワリヌイ氏以外も狙われた(そして殺された)疑惑が浮上したとのこと

 こんばんは。以前私はこのブログとYouTubeチャンネルで、「ロシア軍参謀本部情報総局(GRU)が、神経剤ノビチョクを用いて英国在住の元KGB工作員スクリパリ氏とその家族の暗殺を試みた」・「反体制派のナワリヌイ氏は、ノビチョクによる暗殺未遂実行前からロシア連邦保安庁(FSB)工作員の尾行を受けていた」・「リークされた機密情報等から、ノビチョク製造に関与している人物や施設を特定した」というニュースを紹介しましたね。実はまた、'Bellingcat'が驚くべき調査結果を公表しました。ナワリヌイ氏の尾行・毒殺未遂に関与したFSB工作員らの旅行データを精査した結果、「ナワリヌイ氏, スクリパリ氏以外でも標的となった人がいるのではないか?」と言うのです。以下にその人物のプロフィールと、死亡の経緯について纏めてみました。

www.bellingcat.com

 

(1) Tumur Kuashev

 Kuashev氏は、ロシアの北カフカス地方にあるKabardino-Balkaria自治共和国の首都Nalchik出身(and在住)でした。彼はブロガー兼ジャーナリストとして、公安当局による拷問・迫害に関する記事を地元のニュースサイトへ投稿したり, 警察による拷問に抗議するデモを主催し人権団体と協力する等していたことから、地元の警察やFSBに呼び出され警告を受けたことがあるそうです。他にも彼は、2005年にNalchikで起きたチェチェン反乱軍司令官が指揮した攻撃(ロシア当局はこの攻撃を「海外のイスラム主義テロ組織が扇動した」と主張している)に関与した地元住民58名に対する刑事裁判を追跡していたのですが、彼がこの事件の公判を追跡している唯一の地元のジャーナリストであり, また 頻繁に検察側の矛盾を指摘していたそうです。

 そんなKuashev氏も2014年7/31の午後6時半頃同7時に予定されていた母親(舞台俳優)の出演する劇を観るために自宅を出た後に行方不明となり翌日には自宅より150km以上離れた森の中で遺体となって発見されたそうです。彼の遺体には皮下血腫が多数認められ, 左の腋窩に注射痕があったそうですが、地元の検死官(日本の行政解剖司法解剖を行う医師[=監察医, 医学部法医学講座の医師]に相当)「急性ウイルス感染症による心不全で死亡した」と結論付けたとのこと。また、遺体の血液サンプルを地元の研究所とモスクワの研究所で解析したそうですが、「毒物の痕跡はないとの結果だったそうです。

 ところが、ナワリヌイ暗殺未遂実行犯の足取りを辿る過程で、そのうち数名が2014年の7月にNalchik近辺(=Kuashev氏の生活圏)へ渡航していることが判明したのです。例えば、Konstantin Kudravtsyev同年7/13にNalchikへ旅行していますし, 7/22にはIvan OsipovがモスクワからMineralnye VodyNalchikの北西に位置)へ渡航し、8/1の午後2:05(Kuachev氏の遺体発見から数時間後)のフライトでモスクワへ帰還しています。また、Alexsey Alexandrov6/29にVladikavkazNalchikから南東100kmに位置)へ渡航し、8/2にモスクワへ帰還している他、Denis Machikin, Roman MatyushinなるFSB将校も7/29にVladikavkaz渡航して7/31にモスクワへ帰還していたとのこと。

 Kuashev氏の死亡については他にも不審な点があります。Kuashev氏の母親の出演する劇を上演していた劇場周辺の監視カメラは彼が失踪した夜の間、技術的なエラーでオフラインとなっていました。また、Kuashev氏の遺体が発見された翌日の8/2には、友人らが7/25~8/2にかけての彼の携帯電話の通話記録全部を携帯電話会社から取り寄せていますが、8/2より前の通話・テキストメッセージ・インターネット接続は皆無だったとのこと。しかしKuashev氏の友人は「彼が死亡する前日に電話とテキストメッセージのやりとりをした」と証言しており、携帯電話会社の記録と矛盾します。これについては、FSBにより携帯電話会社へ通話記録を消すよう働きかけがあった可能性もあるそうです。また、Kuashev氏の血液サンプル分析を行ったのは、ナワリヌイ氏毒殺未遂に関与したFSB'Criminalistic Institute'であり, 分析報告書を記載したのは、ナワリヌイ毒殺未遂決行後にOmskでの証拠隠滅を指揮したVasily Kakashnikovでした。

 

(2) Ruslan Magomedragimov

 Magomedragimov(長いので、勝手ながら以下イニシャルの'RM'へ省略)氏は、ロシア最南部Dagestan自治共和国在住で, LezgianDagestanからアゼルバイジャンにかけて住んでいる少数民族)の独立を求める'Sadval movement'の活動家でした。

 そんなRM氏も2015年の3/24の正午頃に友人へ「同日午後に開催されるLezgian語のイベントで会おう」という趣旨の電話をした後の同日午後2時頃KaspiyskDagestan自治共和国の首都Makhachkalaの郊外)で遺体となって発見されます。彼の車は遺体発見現場から400m離れた庭で発見され, ドライブレコーダーが無くなっており, 携帯電話3つのうち2つが無くなっていたそうです。また、捜査員が現場に到着した時に車内から他の人間の足跡を発見したそうです。捜査関係者はRM氏の死因を心不全と結論付けましたが、検死(日本の行政解剖司法解剖に相当)担当者は「RM氏の心臓は健康そのものであること」, 「死因は窒息が原因と考えられること(RM氏遺体の頸部・体幹に暴行の形跡は無かった)」を指摘してその結論を疑っていたそうです。他にも、遺族によるとRM氏の遺体の頸部には注射針の痕跡のようなものが2つあったとのこと。またRM氏の組織サンプルは毒物検査へ提出されたとのことですが、公式な報告書は今のところ確認されておらず, また, Bellingcat側からRM氏の遺族へ詳細を確認しようにも連絡が取れなかったとのこと。

 RM氏に関しても、例のFSB実行犯に不審な動きが認められたそうです。(1)のKuashev氏の事例でも登場したOsipov2015年の1月に2度Makhachkalaを訪問しており、同年3/24にはVladikavkazKaspiyskから車で4時間)に渡航して同地域に6日間滞在した後, RM氏が毒を盛られたと思われる2日後にモスクワへ帰還しています。また、KudravtsyevRM氏が死亡する2週間前にMakhachkala渡航し, 3/1〜16日の間同地域に滞在していました。

 

(3) Nikita Isaev

 Isaev氏は2018年から'New Russia'なる運動を主導しており、連邦政府批判を避けつつも、モスクワの地元・中堅政治家の批判を行っていました。Isaev氏はクレムリンプーチン政権の支持者であり、国営テレビにコメンテーターとして頻繁に登場していましたが、一説によると彼はVladislav Surkov(2020年初頭に辞任したプーチンの側近)によって作られた'Spoiler political project'の一員であり、ナワリヌイ氏の支持者を分裂させたり, クレムリン内部のSurkovの政敵を攻撃する役割を担っていたそうです。

 そんなIsaev氏も2019年11月に上記2者と同様の運命を辿ります。まず、彼は同年11/15の日中にモスクワより南東500kmにあるTambovで集会を開き、地元住民から政治家・地域中小財閥の汚職に関する話を聴きました。なお、これには側近兼愛人のAlina Zhestovskaya氏も同席し、帰路も一緒でした。そして同日夜にはTambov発モスクワ行きの列車に乗り、その時の様子を'VK'なるSNSへ投稿していました。翌11/16午前1時頃Isaev氏はトイレに行くため起床しましたが、戻ってくるまでに時間がかかった上に, 戻った時には前屈姿勢で腹を押さえながら戻って来て、Zhestovskaya氏へ「毒を盛られたと思う」と言って倒れたそうです。Zhestovskaya氏は車掌を呼びましたが、列車は広大な森林地帯を走行中であり、車掌は「列車は止められない」と答えたとのこと。列車はIsaev氏が倒れてから1時間以上経ってから次の駅で停止しましたが、 駅で乗り込んできた医師はその場でIsaev氏の死亡を確認したそうです。

 モスクワ到着時にIsaev氏の血液サンプルは分析用に提出され, 後日「毒物検出なし」との結果が出たのですが、結果判明前に彼の遺体は(生前の希望に沿う形で)火葬されました。また、彼の死因については「心臓発作」と判断されたそうです。

 Isaev氏は2019年の5月にMagnitogorskカザフスタンとの国境付近の町), 10月にNizhny Novgorodへ旅行していますが、Alexey AlexandrovFSB工作員でナワリヌイ氏暗殺未遂にも関与)も同時期に同じ目的地に行っています。更に、オフラインの複数のデータベースから抽出したIsaev氏の旅行履歴も用いて解析したところ、ロシア国内7箇所への旅行(合計13回のフライト, もしくは 列車)において、FSB工作員Isaev氏を尾行していたことが判明しました。但しTambovへの旅行については、これら工作員がついて行ったことを確認できなかったそうです。

 なおIsaev氏が暗殺される動機は依然不明(政治姿勢が基本的にプーチン政権側だったから)です。彼が2019年だけでもドイツ, スペイン, イタリア, オランダ, イスラエル等複数の国を訪問していることから、FSBIsaev氏に亡命計画があると誤解した可能性もあると指摘されています。

 

 このロシア当局による暗殺計画関連の英語記事を見て、私は工作員の氏名・性別・年齢・顔写真・経歴はまだしも、『いつどこへ移動したのか』や偽名までもが何故ここまで流出してしまうのか?」という疑問を持っていましたが、それへの答えは同じBellingcatが用意してくれました。なんとロシアのeメールプロバイダーやSNSは、西側のそれ(FacebookTwitter等)と比べると顧客のプライバシー保護にかなり消極的で、頻繁にデータが漏れているそうです。事実、検索エンジンGoogle'Yandex'で検索するだけで電話の通話記録・位置情報や航空機乗客名簿, 戸籍等の情報が見つかり、200~300ユーロ(日本円で25,297〜37,945程度)相当の暗号通貨を払えば入手可能とのこと。またSNSの一種'Telegram'には、検索対象である個人の名前を入力し, Google Payを介して約10ユーロ(日本円で1,264程度)を支払いさえすれば、その人物の生年月日・旅券番号・裁判記録・車のナンバープレート等の個人情報のセットを自動的に提供してくれるボットアカウントすらあるそうです。

※上記のユーロ・円の換算は2021年1/29午後現在にウェブで検索して判明した相場です。

 

 政権に反対姿勢を示す人間の言論・集会・結社の自由はまだしも生命・身体の自由を、不当な拘禁, 拷問や暗殺といった手段を通じて抑圧し続ける体制が非道であることは言うまでもないでしょう。ただ、私は「民間企業・公的機関内にコンプライアンスの概念が欠けているが故に重大な機密情報すら漏れてしまう」というロシア国内の事情には首を傾げてしまいました。たとえ国家元首がいくら強権的であろうと、腐敗は防げないことの証左ではないでしょうか(寧ろ、独裁があればこそ腐敗しやすいのかもしれません)。