Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

日本のどっかに勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

岩田先生の著書を参考に感染症の『水際対策』について、色々考えてみた。

 最近、私は暇さえあれば岩田健太郎先生の著書を読むようにしています。私は一応、救急専門医資格取得を目指し修行中の医師ですが、感染症 ー特に、アウトブレイクの阻止といった疫学的な話 ー に詳しい訳ではありません。確かに、外来やICUで抗菌薬を処方する機会は多いし, 例えば「どの病原体が空気感染するか, 飛沫感染するのは何か」や「感染症法で届け出が必要な疾患・病原体は何か」といった事を知らないと業務に支障が出かねませんが、デング熱が今後、日本に定着し蔓延する可能性はあるのか」とか, 「牛のレバ刺し提供禁止は、腸管出血性大腸菌感染症発生の予防に効果があるのか」といった知識を自信を持って披露できる自信はありません(感染症専門医ではないから)。従って、「隗より始めよ」(?)の論理で、有名な岩田先生の著書をぼちぼち読み始めたのです。

 そんな中で今回は、2018年に発刊された『インフルエンザ なぜ毎年流行するのか』(ベスト新書)の記述の中で、特に私の興味を引いた記述を紹介し、自分なりに考察してみようと思います。

 今回のCOVID-19パンデミックに限らず、2002~03年のSARSパンデミック2009年のH1N1インフルエンザウイルスパンデミックでは、日本の空港にて入国者の体温を測る『水際対策』が行われていました。SARSやMERSは、たまたま患者が日本に来なかったので国内でアウトブレイクはしませんでしたが、H1N1インフルエンザは日本でも流行してしまいました。

 この水際対策について岩田先生は「では『新型』インフル(H1N1のこと)に『水際対策』がうまくいったのか?これにはいろんな意見があります。が、少なくとも、はっきりと『うまくいった』と示すようなデータはありません」と疑問を呈し、「『水際対策はどれくらい効果があり、それは労力に見合うものだったのか?』という発想が必要」と述べています。その上で、岩田先生は次のような実例も上げています。

  • マラリア輸入症例のうち、検疫所で捕捉したのは2.9 %。そもそもマラリアは日本国内での流行を想定する必要性は低く、帰国後に受診した病院でちゃんと診断できれば良い。
  • デング熱は潜伏期が短いので、帰国前後(滞在先から出国時 or 日本へ向かう飛行機内)には既に発熱していることは多いが、それでも輸入症例のうち検疫所で補足したのは13.7 %
  • 感染症法にて、梅毒は7日以内に保健所への届出が義務付けられている5類感染症に指定されているが、保健所側は無記名で報告を受けるので患者のプロファイルを把握していない。従って、保健所は患者とそのパートナー(性交渉を持った相手)に対して周囲へ感染させない予防法を提示し, 尚且つパートナーへの梅毒の検査と罹患時の治療を提供する, といった感染拡大を防止する策を打つことができない(数だけ追って、予防策と治療は患者本人と主治医任せ)。

 実際、岩田先生は検疫所の所長や厚労省の担当者へ『水際対策』の費用対効果や継続の必要性に関して質問したそうですが、まともな答えは貰えなかったそうです。

 

 ではなぜ日本政府は、『水際対策』にこだわるのか?ここからは私の勝手な憶測であり、感染症専門医の意見でもなければ、岩田先生の見解ですらないので予めご了承下さい。

 1895年4月に日清講和条約により日清戦争終結したのですが、皮肉にも当時前線ではコレラが蔓延しており、Vibrio choleraeが帰還兵と一緒に日本へやって来るおそれがあったのです。その時、似島検疫所で対策の指揮を執ったのが後藤新平だったのです。兵士を乗せた輸送船が来るとまず検査官が乗り込み、コレラ患者と感染疑い患者を特定し隔離・入院させました。他方、健康な兵士は下船後、服を全部脱いで入浴させられ, その間に衣服等はボイラーで加熱し消毒されました。最終的に似島検疫所では3ヶ月間で23万2,346人に対して検疫業務が行われ、369人のコレラ患者が隔離され、帰還兵によってコレラが日本国内に拡大することを阻止した、と評価されたのです。

http://www.seisaku-center.net/node/1143

伝染病の拡大阻止した125年前の「大規模検疫」… 偉人・後藤新平の“水際作戦”スピードと実行力に学べ!

 これはあくまで私の想像ですがこの後藤新平らの功績が『成功体験』として語り継がれた結果、『水際対策』を「踏襲すべき前例としてのテンプレート」として、125年経った今日でも政府機関が好んで使用するようになったのではないでしょうか。

 しかし、当時と現代では色々と事情が違います。そもそも似島検疫所で行われたのは、「前線へ派遣された軍団」という、全体の統制が利き, 尚且つ 事前に感染症の発生が確認されていたクラスターへの対策であって、好きな場所へ好きな日時に上陸できる観光客や漁船・商船の乗組員とは明らかに異なる集団です。しかも当時の大陸への移動手段は船舶のみ(ライト兄弟の初飛行は1903年)ですから、多くの患者は日本へ向けて航行中に潜伏期を過ぎてしまったのではないでしょうか(国立感染症研究所のHPによるとコレラの潜伏期間は1日程度。また軽快後であっても排菌は1~2週間程度続くとのこと)。つまり、『水際対策』で容易に感染拡大が抑止可能なクラスターだったのかもしれません(その反面、1918〜20年パンデミックを起こした『スペイン風邪』は日本にも上陸し、多くの死者を出している)。

 他方、現代では航空機で世界各地から最長でも24時間そこそこで日本へ辿り着けますし、明治時代と比較すると海外旅行をする人はかなり増えています。つまり潜伏期間を過ぎる前に入国ゲートを通過してしまう可能性は、20世紀初頭などよりもだいぶ上がったと言えるでしょう。そんな中で、どのような『水際対策』が可能なのでしょうか?ここでは敢えて、デング熱を例に挙げて思考実験をしてみましょう。なお目下持続中のCOVID-19のパンデミックはないと仮定します。

 先述のように、潜伏期が短いのにも関わらず、検疫所で捕捉された輸入症例は全体の13.7 %です。デング熱の流行地域はだいたいサブサハラアフリカ諸国や東南アジア, 南アジア, 中南米辺りですから、そこから帰国もしくは入国する人を全員隔離しますか?或いは、その人全員に「ここ1週間以内に、蚊に刺されましたか?」と聞いて周り、「はい」と答えた人だけを隔離しますか?

 前者の対策は、人権という見地からは到底許容し難いでしょう(北朝鮮, 中国, イラン等の強権的な指導層が支配している国家ならやってしまいそうですが)。後者も様々な意味でナンセンスです ー 蚊に刺されたことをいちいち記憶している人は滅多に居ませんよね。また、デング熱流行地域で蚊に刺されたからと言って、必ずデングウイルスに感染するとは限りません。しかも、感染しても症状が出ない(不顕性感染)人も一定の割合で居るようです。

 こうやって考察してみると、感染症の拡大防止策は情勢の変化や疾患・病原体のプロファイル等に合わせて柔軟に設計した方が良いように思えてきます。そして現在、それに現在進行形で挑んでいるのが西浦教授や尾身先生をはじめとした専門家集団なのですしょう。