Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

東日本の某県に勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

私が運動会/体育祭や体育会系部活を嫌う理由。

 都道府県によるとは思いますが、未だにCOVID-19の影響で大規模なイベントが軒並み中止, ないし延期されており、学校における部活や大会なども同様となっているようです。中には残念がる声も上がっているとは思いますが、私はここで敢えて提言します。「その部活やイベントは本当に必要ですか?」と。パンデミックの有無に関わらず、私は部活動や学校で行われる体育会系のイベントの存在に対して異なる考えを持っています。今回はその理由を交えて私の考えを書いていこうと思います。

 

(1) 運動会・体育祭の汚点

 運動会や体育祭と聞けば、「家族が総出で応援に来てくれるし、クラス, 学年, 或いは◯組が一体となって競争することで達成感を得る一大イベント」というイメージが普通ならば強いかもしれません。

 私には、(今思い返せば)一種の悪夢に過ぎませんでした。例えば小学生の時、学年全体でダンス(と言うよりマスゲーム)を踊る種目があり、運動会が近づくと体育の授業は徒競走やそのダンスの予行演習に費やされました。しかし私の場合、周囲と比べて運動神経は悪かったですし, 「振り付けなどのペースを周囲と合わせてやる」といった作業が苦手でした。練習の時には担任や同級生から「なんで出来ないんだ!」, 「やる気あるのか!」, 「いい加減覚えろ!」的な叱責や罵声を浴びることになりました。そしてこれがいじめにも繋がったことは言うまでもないでしょう。

 他にも、小学校ではよく長距離走のイベントがあるのですが、これもまた時期が近づくと体育の授業が予行演習に変わります。運動神経が悪く、持久力に乏しい(それでも大学で水泳部に居ましたが)私には毎年これへの参加が苦痛でした。しかも、本番のタイムが練習時より悪かったら、担任から「努力が足りないんじゃないの」と吊し上げを喰らう始末。テメーに何が分かるんじゃボケ!他にも、三十人三十一脚, ドッジボール大会もありましたが、散々であった事は言うまでもないでしょう。周囲の私に対する評価も散々で、『怠け者』, 『出来ない奴』というレッテルを貼られていったのです。

 その後、私は私立の中高一貫校に進学する訳ですが、そこでも悪夢は続きます。まず1つ目はクラスマッチです。同じ学年内のクラス対抗で球技大会をする訳ですが、私は周囲の男子どもの圧力で希望した競技(サッカーやソフトボールなど)から尽く排除され、希望すらしていない卓球やバドミントンへ回されます(こっちの出来も散々でしたが)。普段から体育の授業で周囲から見て私が『ヘマばっか』していたからでしょう。例えばサッカーの場合、ゴールキーパーをやらせても他の人が止められるボールが阻止できない。ボールを奪おうとして相手選手にモロに激突してしまう。果ては危うくオウンゴールしかける。このクラスマッチの本来の目的は『スポーツでの競争を通して親睦を深める』であった筈ですが、私は開始前から差別されていた訳です。

 そして、2つ目の私の悪夢は体育祭です。運動神経が悪いので徒競走・リレーではほぼ期待されていなかったのは言うまでもないと思いますが、中学校・高校時代最大の悪夢は応援団への加入を拒否されたことです。中学校3年の時、同期や先輩らの華麗な応援や演舞に憧れて、同級生へ「入りたい」と言う旨を伝えましたが「お前は協調性がない」等と言われて猛反対されました。しかも一旦応援団に入ると、きつい練習への参加が強制されるのです。私が居た中学・高校の体育祭は9月にありましたが、応援団の募集・練習開始は早くても7月上旬。夏休みの8月も返上して日中は炎天下の校庭や体育館で練習を続け、9月に入ると夜まで練習し続けると言う念の入れようです。同級生からの胸糞の悪い拒絶も大概なのですが、自分の時間を奪われるような日程も私が応援団入団を諦めた要因です。仮に加入していたとしても、先輩や同級生からの私的制裁でいたずらに消耗していたでしょう。

 このように、小学校〜高校を通じて行われる体育の授業, ないし体育会系のイベントは、「運動が苦手」, 「周囲と協調した運動へ順応するのにひと工夫が必要」といった要素を持つ人間を共同体(=クラス, 学年, 学校)の辺縁, 或いは最下層に追いやり、小児期・思春期という多感な時期にトラウマを植え付ける負のイベントとなりうるのです。

 

(2) 体育会系部活も最低

 高校卒業後、現役で国公立大学医学部医学科に合格した私は、「高校では女子にモテず(実際彼女なんてこれまで居たことがありません), 男子からも散々だった。でも大学に入ったらそんなキャラクターから脱却してやるぜ!」などという、合理的な根拠もない楽観論を抱いたまま軽いノリで水泳部に入ります。大学で私が築いた人間関係は、小学校〜高校と比較すればだいぶマシな(恵まれていた)方であったとは思いますが、やはり苦痛を伴いました。

 まず、そもそも私は中学・高校と部活には入っていなかったので初めて「先輩・後輩関係」を経験することになります。確かに、社会人になればそういった上下関係はつきものなので経験・学習し始める時期が早いに越したことはないのかもしれません。しかし一方で、このような体育会系部活における上下の力関係や同調圧力は私に新しいトラウマ(?)を植え付けたのです。部活内では常に(練習, 大会中, 大会前後の移動中はまだしも飲み会の最中ですら)「後輩が率先して、先輩の代わりに『仕事』を請け負うこと」, 「後輩にも気遣いを見せること」, 「プライベートよりも部活を優先すること」等を要求されます。元々私はそんな気の利く人間ではありませんので、先輩はまだしも同期から冷たい目で見られ始める訳です。「あいつは出来ない奴」, 「仕事を頼めない」等の偏見が常に付き纏い、果ては飲み会の最中に泥酔した先輩や同期からゴミ呼ばわりされる始末。「せめて社会人(医師)になる前に、真っ当な青春時代を過ごしたい!」という私の希望は、脆くも体育会系の論理を前に砕け散ったのです(まあこれでも6年間水泳部には所属していた訳ですが)。結局、体育会系の部活動も私に新たなトラウマを植え付けるだけで終わりました(当時腹筋が割れて、いわゆる"6 pack"体型にはなれましたが、卒業後は運動する機会が激減し今は元の脂肪まみれの体に逆戻りしています)。

 私の場合、体育会系部活の経験は大学のみですが、このような負の要素は中学・高校に共通しうる事は言うまでもないと思います。特に、「目上の人間(≒先輩)に倣い行動し, 言う通りにすべき」と刷り込まれる事には負の側面もあると私は考えます。その『目上の人間(≒先輩)』の指示や意図が不合理的, 非倫理的, 不正であっても、拒止出来る人間が居なくなります。そして指示通りやったことで望ましくない結果が生まれたとしても、指示を出した目上の人間が責任を取らずに、指示を受けた『目下の人間(≒後輩)』が腹を切らされる場合もあるからです。1939年のノモンハン事件の際、ソ連・モンゴル両軍の兵力・装備・火力を甘く見積もった関東軍上層部は敵軍陣地への攻撃と兵力逐次投入を繰り返して自軍の損耗を拡大させます。しかし日ソの講和が成立した後、関東軍の幹部はさしたる処分を受ける事はなく、中には対米英開戦後に南方戦線へ栄転した参謀すら居ました。他方、前線で敵軍と対峙した部隊長の多くは戦死するか部隊壊滅時に自決し、生還しても「許可なく持ち場から後退した」と責められ自決させられた者すら居ました。また捕虜交換でソ連から帰ってきた将校らに対し、陸軍首脳部は「軍法会議前に自決させ名誉の戦士にする」という方針を示しているのです。そして最近の政府中枢が関与した不正・疑惑の報道を見ていても、「上層部が責任を取ろうとせずに、下部組織や配下の人間が代わりにツケを払う」という風土は未だに日本に残っているようにも思われます。

 

(3) まとめ

 多くの人にとって、運動会/体育祭やクラスマッチ, 部活動は青春の1ページとも言うべき、かけがえのない記憶かもしれません。しかしそれはあくまで「運動が得意」, 「周囲の人間と人間関係を構築するのに一切支障は無かった」, 「自分の個性を犠牲にしてまで周囲に溶け込む事を厭わない」etc.といった特徴を備えた人間の視点です。こうした特徴が一つでも『欠落』している人間は、たとえ他に長所や得意分野/特技(周囲の理解, ないし共感を得られにくいものも含む)を備えていたとしても、体育祭・部活のような環境・イベントにおいては落伍者, 或いは賎民の如き扱いを受け続けその結果として自分の個性を圧殺したり、自尊心/自己肯定感を失ってしまうという事実も忘れないで頂きたいものです。

 また、これは部活動に限った話ではありませんが、有無を言わせない上下関係は時として好ましからざる結果をもたらす場合が多々あります。パワハラ上司の命令に抵抗も告発もできず、体調を崩すor自殺を選んだり, 明らかに非合理的・悪質な指示を出す上層部に反論できず事故や不正に加担させられたりと、寧ろ百害あって一利なしではありませんか。こういった欠陥を、少しずつで良いから修正・撤廃していくのが我々良識のある有権者/国民の仕事であると思います。