Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

東日本の某県に勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

"Bellingcat"なるサイトを読んで、ガチなファクトチェックを知った件について。

 いつ頃からか、「ファクトチェック」というフレーズが流行るようになりました。これまで様々な『嘘』 ー 厳密には、裏付けのない憶測, 科学的検証の無い情報, 別メディアで発表された情報を改変し、意図的に別の文脈へ付け替えるetc.ー が、インターネットはまだしも、場合によりテレビといった公共放送に流れてしまった経緯があります。それは2011年の東日本大震災福島第一原発事故や2016年の熊本地震の際に問題となり、災害が無い時であっても、世間の注目を集めたニュース ー 例えば、沖縄の県知事選や、地球温暖化に対する若者の市民運動の端緒となったグレタ・トゥーンベリ氏に関する話題など ー にかこつけて、真っ赤な嘘や, 事実を歪曲した情報が出回ることが頻繁に起っています。そして今、COVID-19に関してもネット上で不正確な情報が流布され、特に民放のワイドショーでは「医師」, 「研究者」という肩書があるだけで実際は感染症診療・対策に従事した経験に乏しい者がコメンテーターとして登壇し、困惑を招いています。言うなれば、科学技術が発展した現代ですら、自分が目にした情報の正誤を判断する能力, もしくは情報を科学的に吟味し、誤ったものについてはしっかりと反証する媒体が必要なのです。

 そんな中、このいわゆる「ファクトチェック」という文脈で最近私の興味を引いたメディアがあります。"Bellingcat"という、研究者やジャーナリストらからなる集団です(下記リンク)。Open sourseやSNS上の情報を通して独自調査を行い、麻薬カルテルや人道に対する犯罪, 世界中の紛争に関する調査結果を発表しています。

bellingcat - the home of online investigations

 そういった彼ら・彼女らの業績の一例を今回、紹介してみます。2011年以来、内戦下のシリアでは複数回にわたって化学兵器による攻撃が行われ、一部はISILが行ったものの、大半はシリア政府軍による攻撃でした。2018年4月7日にもシリアのDoumaで化学兵器による攻撃があり、事後調査を化学兵器禁止機関(Organization for the Prohibition of Chemical Weapon: OPCW)が行いました。OPCWの実情調査派遣団(Fact Finding Mission; FFM)が2019年3月1日に最終報告書を公表し、その中で塩素ガスが使用されたことを明言しました。

 ところが、Wikileaksへ「FFMのメンバーだった」と名乗る2名(仮名"Alex"と, Ian Hendersonなる人物)がFFMの内部文書やメールをリークしてOPCWの出した結論へ疑問を呈し、「化学兵器攻撃は偽装であり、実際は行われていない」とする主張を展開してみせたのです。

 このファクトチェックのため、bellingcatはリークされた文書とOPCWの報告書双方の精査を行い、また現地から発信された情報(写真や証言など), 他のジャーナリストの取材内容や人権団体の報告も調査しました。その調査内容を一部抜粋し、以下に列挙してみます。

  • Alexは主にFFMの最終報告書(2019年3月公表)を批判しているが、彼がWikileaksに漏らしたメールは報告書の原稿2つ(2018年6月作成, 本来ならば公表されない内部文書)と中間報告書(2018年7月公表)に関するものであり、これらはFFMによる調査が全部終わっていない段階で作成されたものである。またWikileaksは2018年8月20日以降にやりとりされたFFM内部のメールを公開していない(持っていないか, 持っているのに敢えて公開しない, のいずれかの可能性がある)。
  • Alexは、「Doumaの現場からはごく少量の有機塩素誘導体しか見つかっていない」(これはFFMも認めている)と示した上で、「ほかの原因からも生じうる(例; 塩素系漂白剤)」と主張。但し、この証拠が採取されたのは同じ建物の違う階と, その建物が面する通りからである。そこの住人が、壁を含む屋内全体と通りまでの全部を塩素系漂白剤で掃除するというのは無理がある。またその建物の中では上空から投下されたシリンダー(塩素ガスの容器。多くの独自調査で、それは政府軍による塩素ガス攻撃でシリア政府軍が使用したという確証が得られている)が見つかっており、そのシリンダーの急速な腐蝕は塩素との反応があったことを示唆している。
  • AlexはWikileaksに、OPCWへ派遣されている政府関係の毒物学者との数分間の会話記録を漏洩している。その中で毒物学者は、「犠牲者に3~4時間で泡を吹く(肺水腫による)という症状が表れた」という目撃証言は「発症時間が早すぎて、塩素ガスとは矛盾している」と述べているが、第一次世界大戦時の証言や軍医の症例報告では、塩素ガスへの暴露後3~4時間よりも早く発症しているという報告がある。また2019年の医学的文献でも、「塩素ガス濃度が25~50 ppmの状態で肺水腫は2~4時間で発症するが、50 ppmを超える場合は30~60分で発症しうる」という記述がある。

  • 自分の報告書をリークしたIan Hendersonは、2019年3月14日付の文書で「Doumaを訪問し、その後5週間はシリア国内のOPCW contol postの責任者を務めた」, 「現場から見つかった2つのシリンダーの弾道の分析を行った」と述べた上で「その後仕事から外された」, 「だが視察団長から許可をもらった上で計算用ツールへアクセスし、分析は継続した」と主張。しかし、HendersonはFFMのメンバーでなかった上, FFMの業務は機密性が高かったので彼は除外された、というのが真相である(Hendersonは勝手に、機密性が高い情報にアクセスしていた)。
  • Hendersonは自分の報告書をFFMのメンバー宛に「2019年2月25日に送った」と主張したが、実際は2月27日でありFFMが最終報告書を出す2日前であった。そしてHendersonは2019年2月28日にFFM担当者へ「文書アーカイブスに報告書を入れておいた」と報告したが、これは最終報告書が公表される前日であり、最終報告書発表までの間にこれを検証する時間はなかった(Hendersonは勝手に書いた報告書を突然提出し、FFMを混乱させた)。
  • Hendersonが書いた報告書自体も様々な欠陥が指摘されている。例えば、塩素ガスが入っていたシリンダーについてHendersonは「500mより高いところから落とされていない」という憶測を示していた。しかし実際のところ、シリア政府軍のヘリコプターが小火器に狙われにくい夜間などに500m以下の高度を飛ぶことは十分ありうる。またHendersonは報告書の仮説の項目で「シリンダーは未知の高度から落ちたと考えるべきだ」と述べているが、シミュレーションでは恣意的に高度を最低500mと設定しており、シミュレーションでこの仮説を検証できていない。更に、Doumaに近い空軍基地から軍用ヘリが4機、化学兵器による攻撃があった時間帯に離陸しているところが目撃されている。

  • シリア政府とロシアは「化学兵器攻撃自体がなかった」, 「でっち上げだ」と主張している。しかし化学兵器攻撃があった時期に、Doumaは政府軍による間断なき砲爆撃に曝されており、化学兵器攻撃から24時間以内に街は政府軍に包囲されて多くの避難民も生じていた。その混乱の中で、ロシアやシリアの政権側が主張するような「他の場所からシリンダーを運び込んで現場に配置する」, 「他の場所から老若男女の遺体を運び込んで塩素ガスの犠牲者と見せかける」、「遺族に『遺体は化学兵器攻撃を偽装するため運び込まれた』ということを口止めした」といった類の工作をしている余裕などない。ましてやそのロシア・シリア側の主張を裏付ける証拠(証言, 映像, 写真)はない。

 Bellingcat全ての記事が4篇に分けてまで記述されるほど冗長な訳ではないのですが、単に「ファクトチェック」と言ってもここまで長く、やや難しい内容になるなんて私は度肝を抜かれました。インパクトの強い嘘を覆すためには、かなりの量の証拠を集めた上で科学的に分析し、論理的に反証を組み立てねばならないのでしょう。願わくば日本でも、このようなメディアが登場することを望みます。