Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

東日本の某県に勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

本の紹介(13); 『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』

 今日はまた本の紹介を行いたいと思います。

『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』(半藤一利 著, 文春新書)

過日紹介した、半藤一利氏の著作です。この本もまたアジア太平洋戦争時の日本軍の首脳部の意思決定などを検証し、望ましい参謀像, リーダー像を指摘する内容です。では早速、一部ながら内容をざっと紹介してみましょう。まずは日本軍の残念な参謀の事例からです。

(1) 残念な参謀

その1:辻政信

 名古屋幼年学校・陸軍士官学校は首席, 陸軍大学校は3番目と成績は優秀でした。問題は1939年のノモンハン事件です。当時関東軍作戦参謀だった辻は、主任作戦参謀(服部卓四郎)と共謀し、ソ連・モンゴルと満州国間の国境紛争を陸軍中央(参謀本部)へ一切相談なくエスカレートさせました。果ては、越境攻撃には昭和天皇からの大命が必要だったのに、勝手にソ連側への空爆を決行する始末。最終的に、火力・兵力に勝るソ連軍に押されて日本軍は激しく消耗してしまいました。ところが事件終結後、前戦で戦った師団長や捕虜交換でソ連からの帰還を果たした将兵らは自決を強要される一方、辻と服部は一時期閑職へ置かれた後に参謀本部へ栄転したのです。

 そして1941年から、辻・服部というお笑いにすらならないコンビは南方作戦を推進。特に辻は、シンガポール陥落後に華僑虐殺を命令。戦後のBC級戦犯裁判で、実行犯役の近衛師団長と警備司令官は処刑されていますが、逃亡中だった辻は罪に問われていません。更に、辻はガダルカナル島攻防戦へ大本営派遣参謀として首を突っ込みますが、ここでも無謀な総攻撃計画により自軍の犠牲を拡大してしまいました。当時の陸軍内部でも、辻の態度を「将来大きな過誤を犯すから直ちに予備役にすべき」, 「我意強く、小才に長じ所謂狡い男にて、国家の大を成すに足らざる小人」と酷評する声はありましたが、東條英機ら上層部に可愛がられたため要職に留まり続けたのです(あと、他の参謀と違って前線にやたらと出て回るので兵卒には人気があったそうです)。

 なんか、こうゆう感じの人間に見覚えありませんか?声がデカく893ばりに暴走する一方で、責任は取らない, 性格がクソ, 器が小さい, という人。そのクセ、上層部からは温情を掛けられお咎めなし。私も、同じ医療業界でそんな医師(特に上級医)を何人も見聞きしていますよ。

その2:黒島亀人

 連合艦隊司令長官 山本五十六の参謀として真珠湾攻撃の作戦計画を設計。また、山本から真珠湾攻撃に反対する海軍軍令部の説得を命じられた際には、作戦部長と作戦課長の前で「ハワイ作戦を放棄するなら山本長官は辞めると言っている。我々幕僚も辞める」(本来、山本五十六昭和天皇の勅命で就任したので勝手に辞職は出来ない)と言ってのけた結果、軍令部長からゴーサインを貰ったという経緯がありました。

 真珠湾攻撃後の1942年5月、山本からパプアニューギニアポートモレスビー攻略を任された黒島は、自軍の大部隊を分割し、片方に敵機動部隊(空母を主とする艦隊)を誘い出して包囲殲滅させる一方で、もう片方にポートモレスビーの上陸・制圧を行わせるという複雑な作戦を立てます(珊瑚海海戦)。同海戦で、米海軍は正式空母1隻撃沈, もう1隻も中破という打撃を受けた一方で、日本海軍は軽空母1隻の撃沈で済んでいます。しかし、部隊同士の連携や偵察が不十分だった事もあり、米海軍へそれ以上の打撃を与えることは出来ませんでした。最終的に、日本側は正式空母1隻中破・航空部隊の損耗の影響を考慮しポートモレスビー上陸支援を断念。上陸予定の船団も撤収しポートモレスビー攻略自体は頓挫しました。

 しかし、味を占めた黒島は同様の戦術 ー つまり部隊を幾つにも分割し、複数の目標を同時に達成することを求める ー をミッドウェー海戦でもやろうとします。米海軍機動部隊を誘い出して殲滅する一方で、敵の根拠地を攻撃・占領する。そのような日本海軍の意図は、皮肉にも米海軍に既に見破られていました。米海軍太平洋艦隊長官のニミッツは「日本の戦術には一定した型がある。二つの目的があり、再び部隊編成の複雑性が見られ、またも日本は挟撃作戦と包囲作戦をやろうとしている」と述べています。後述するように、ミッドウェー海戦は日本軍の大敗に終わりました。

 それでもなお、黒島は懲りません。ガダルカナル攻防戦の最中の1942年10月の深夜、狭い海峡に敢えて小回りの聞かない戦艦を2隻も突入させ、米海軍がガダルカナルに築いた飛行場への艦砲射撃を敢行し、それなりのダメージを与えることに成功します。その間に、日本側の輸送船団はそこそこの量の兵員・弾薬・兵器・物資の揚陸を達成したのです。しかし、その後の総攻撃は失敗。陸軍は次の総攻撃計画に合わせて再度の艦砲射撃を海軍に要求します。連合艦隊内部では反対の声も上がりますが、黒島が強硬論を唱えたことから一転決行されることとなりました。しかし、同年11月に行われるはずだった2回目の戦艦による艦砲射撃は、米海軍の待ち伏せを受けて失敗。後続の輸送船団も大損害を被ってしまいました。

 「過去の成功例を踏襲すれば上手く行く」と盲信したら最後、闇雲に突き進んでしまうタイプが失敗するというパターンです。なんかこうゆう人も『あるある』じゃないですか?医療に限らず、政治や経済の領域でも。

 

(2) 肝心な所が抜けているリーダー

 さて、今度は肝心な所をしくじる/抜けているリーダーを紹介します。

その1:南雲忠一

 水雷部隊を専門にしつつ、海軍の要職を踏む。1934年頃に起きた軍縮条約の延長の是非に関する議論では、軍縮に反対する『艦隊派』だったことから出世を確実にしました。その結果、1941年4月に第一航空艦隊司令長官(専門外!)へ就任しました(お気付きの方も居るかと思いますが、彼の上官たる当時の連合艦隊司令長官山本五十六です)。門外漢なのに航空艦隊の司令長官になった南雲は、作戦会議の際は航空専門で生きてきた部下(参謀)たちの議論や意見へテキトーに相槌を打つしかありませんでした。

 1942年のミッドウェー海戦では「米空母はミッドウェー島近辺に居ない」と先入観を持ってミッドウェー島への空襲を続行。本来雲の下を飛んで敵艦隊を探すべき索敵機を、雲の上に飛ばす有様でした。偶然にも予定時間に遅れて発進した索敵機のお陰で米海軍機動部隊を発見できたものの、迎撃機発進を求める第二航空艦隊司令官の意見を却下。敵艦隊発見の報から1時間以上も経ってから攻撃命令を出したものの、時既に遅し。最終的に作戦に参加した空母4隻全てを米海軍攻撃機の爆撃によって喪失したのです。

 要は、組織内の主流派, ないしはルールに忠実であったお陰で出世したものの、適材適所ですらない部署/役職を割り当てられ、優柔不断になったが故に失敗したのでしょう。医局人事でこうゆうパターン、ありそうですね。

その2:栗田健男

 1944年10月のレイテ沖海戦の際、第一機動艦隊が北方に米海軍機動部隊を引き付けている間に、レイテ湾へ突入し米軍輸送船団を殲滅する役割を担うはずだった第二艦隊(『武蔵』, 『大和』といった戦艦を含む)の指揮を取っていました。旗艦『愛宕』や『武蔵』など多くの艦を失いながらレイテ湾に接近しますが、発信源すら不明な「北方に敵機動部隊あり」という情報を根拠に、レイテ湾突入目前で180 °反転。本来の作戦目標は達成出来ませんでした。

 なお栗田と同じく『大和』の艦橋に居た将校は「闘志と機敏性が不十分」, 「やきもきしていた」と証言しています。優柔不断かつ(軍人の割に)臆病過ぎた上に、誤った情報を元に重大な決断を下してしまったのです。こうゆうリーダー、何となく見覚えがあるなあ…

 

 他にも、残念, もしくは最低なリーダーや参謀がこの本に登場します。しかし、失敗例のみ連ねても参考にならないので、当時敵軍(かつ戦勝国)であった米軍内の優秀なリーダーや参謀, 組織運営の事例も紹介してありますし、同じ日本軍の将校でも、適切な判断力・リーダーシップや知恵を持った人物を紹介しています。実際、読んでいて面白いですし、今後職場で責任ある立場に就くに当たっては大いに参考になると思うので、是非ご一読を。