Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

東日本の某県に勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

本の紹介(10); 『なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議』

 今回は、久々に書評をupします。『なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議』(編・解説 半藤一利, 文春新書)をざっと紹介します。

 この本は、文藝春秋の編集長や専務取締役などを歴任し、昭和史の研究者でもある半藤一利氏が、日本陸軍自衛隊のOBの集会所『偕行社』の月刊誌『偕行』に連載された日本陸軍OBの座談会を再編したものです。文字通り、日独伊三国同盟から日米開戦(太平洋戦争)に至るまでの経緯を振り返って(総括して)もらう内容です。

 色々と興味深い事実が書いてあったので、そのうち幾つかを紹介しますと、

  • 元々対ソ連の意味を持っていたドイツとの同盟(1936年の日独防共協定)であったが、 1. 独ソ不可侵条約(1939年)が締結されてしまい, 2. ドイツ及びイタリアから、同盟の対象を米英に拡大するよう要求されたこと, 3. 当時の外相 松岡洋右(と陸海軍内部の親独派)が、米国への抑止力を期待して三国同盟を支持したこと から、日独伊三国同盟が成立した(1940年の9月27日)。
  • しかし、日本の独伊(特にナチスドイツ)との軍事同盟は、寧ろ米国の敵愾心/不信感を尚更煽ってしまった。
  • 1940年7月末に大本営にて決定した『時局処理要綱』では、「マレー半島インドネシア方面への侵攻は対英のみの戦争になる」と想定していた。しかし同年11月末、海軍は南方作戦の図上演習を行い「対英に留まらず、対米戦争にもなる」との結論に至った。その結果を受け、陸軍は3ヶ月程度をかけて試算を行って「物量の面から無理がある」と結論を導き、南方作戦に対し一旦後ろ向きになった(1941年6月に大本営で決定した『対南方施策要綱』)。
  • しかし、海軍は1940年11月15日から既に出師準備第一着作業を開始しており、翌年4月には完了していた。1941年6月22日にドイツがソ連に侵攻したことから、陸軍内で北方(ソ連領)への侵攻する機運ができつつあった。それに対し、海軍は 1. 出師準備第一着作業が完了してしまっていたこと, 2. 陸軍の好きにさせたくなかったこと, 3. 米英蘭によって全面禁輸 ー 特に石油禁輸(1941年8月) ー を受けるが、海軍としては石油禁輸から5~6ヶ月以内(もしくは1941年内)に開戦せねば対米開戦の時期を逸してしまうと考えていたこと, から、南方作戦と対米開戦を強く主張した。

といった感じのことが書いてあります。

 これら以外にも、当時の日本政府が対米開戦を決定するに至った経過, 対米開戦の長期的見通しについての政府・軍部首脳の考え方についてもこの座談会(とそれに対する半藤氏の解説)で言及されていますが、学校の授業等では習わないであろう、驚きの実話が綴られています。これらのエピソードは、様々な意味で『目からウロコ』なので是非ご一読ください。