Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

東日本の某県に勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

本の紹介(5); 『21世紀のイスラム過激派 アルカイダからイスラム国まで』

 前回の記事で、中東情勢について書くと予告しましたが、ちょっと前に興味深い本を購入し読んだので、その本の内容(と紹介)も交えて、私の知っていること, 思うことをまとめていこうと思います。

 まず、件の本ですが『21世紀のイスラム過激派 アルカイダからイスラム国まで』著者; ジェイソン・バーク, 白水社)というものです。題名からお分かりになるかとは思いますが、アルカイダイスラム国が興った背景に関して、目から鱗の事実がまとめられています。正直、新聞やテレビでは滅多にお目にかかれない情報や分析も沢山あり、大いに勉強になりました。

 

(1) イスラムの過激な思想が成立した背景

 まず、この本では、アルカイダイスラム国が依拠する過激な思想が成立した背景を紹介してくれています。その背景を、以下3項目に分けて解説します。

① 欧米による植民地化・介入と、それに対する反感

 西洋による植民地化以前、ムスリムの国家は北アフリカサハラ砂漠以南のアフリカから中央アジア・東南アジアに至るまでの広範囲に存在していました。しかしそれらの国家は、1830年〜1930年の100年の間に西洋諸国の侵略・支配を受けました。西洋の科学技術・経済・軍事の優位性を目にしたイスラム世界は、自分たちの敗因を追究し始めました。加えて、欧米の支配に対する抵抗運動は宗教色が強くなりました。

 そんな中で、ムスリムの内部で様々な派閥が形成されていくのです。欧米のものを一切排除する派閥もいましたが、「西洋の科学技術や政治的イデオロギーを必要に応じて採用するが(例えば、ムスリム有権者を動員して民主的に力を得る。但し、宗教的に不道徳・不適切なものは拒絶する)、その一方で保守的・宗教的な社会観の実現を目指す」という派閥も出現します。この方法論を、イスラム主義』と呼んでいます。

 1960年代までに、中東・ムスリムの国家は独立を果たしますが、その後も欧米の中東への介入が影を落とし続けます。ナチス・ドイツホロコーストを辛くも生き延び、ヨーロッパから脱出したユダヤ人は、パレスチナイスラエルを建国します。しかし、その過程で武力衝突が生じ、多くのアラブ人(パレスチナ人)が家や土地を失って難民となりました。その後も1967年のアラブ・イスラエル戦争でアラブ側は敗北し、喪失感・屈辱感が深まることになりました。

 加えて、イラン(革命前は、「シャー」と呼ばれる君主が統治していた)では1953年にCIAが支援するクーデターによって、民主的に選ばれた首相が失脚させられたため、市民と聖職者の間で反米感情が増幅されてしまいました。これは、後述する要因と並んで1979年のイラン革命の原因となりました。

 更に、1979年にはソ連アフガニスタンに侵攻しますが、時期を同じくしてイスラム世界が侵略に曝された場合、それがどこであろうと防衛の為の戦いに赴くのは全ムスリムの義務である」という思想が普及するようになっていたのです。それに感化され、エジプト, リビア, サウジアラビアといった中東地域から多くの人がアフガニスタンにやってきます。彼らの多くは、隣国パキスタンの拠点で難民に対する人道支援に従事し、アフガニスタン国内に行って戦闘に加わる者は少数だった(多くの戦闘員はアフガニスタン国民。外国人戦闘員はむしろお荷物になってしまう場合が多かった)のですが、ソ連が1989年に撤退したことで次のような『神話』が形成されることになったのです。すなわち、ソ連の撤退は「(イスラム教成立初期のように)真実で武装した少数の信者が、圧倒的多数の不信心者の軍に対して大勝利を収めた実例」の再現だと言うのです。

 冷戦終結後も、米国による湾岸戦争(1990~91年), イラクへの制裁, ソマリアへの介入(1993年), そしてイラク戦争(2003年)は、イスラム世界に西洋による侵略に対する恐怖心を煽ってしまったのです。更に、イスラエルパレスチナ問題でイスラエル軍に石ころだけで立ち向かうパレスチナの若者の映像, そしてイスラエルを擁護する欧米諸国の姿勢イスラム世界の不信感を増幅させました。欧米への反感がイスラム世界に根付いてしまったのです。

② 経済発展と貧富の格差

  近代化に伴い、中東各国では人口が増加していきました。地方では土地が不足したことから、都市部に人口が集中し始めました。地方から流れ着いた人々の大半は、いわゆるスラムに定住します(水道・電気や学校・警察といったインフラが乏しい)。スラムにおいて、同じ村同士だった人々はバラバラになり、伝統的な指導者は権威を喪失しました。つまり、人間同士の繋がりが希薄化してしまったのです。そして、失墜した指導者のイデオロギーに変わるものとして有力視されたのが、上述の『イスラム主義』だったのです。

 加えて、独裁政権による経済成長政策と石油産業の発展は、各国の国民間での貧富の格差を増幅させることになりました。貧富の格差が国民の間で不満を生み、人種差別・排外主義といった不寛容な思想の温床となるのは、今日の米国におけるトランプ大統領の誕生を見れば明らかですよね。

③ 過激な思想を先導した者たち

 イスラム主義者の中に、少数派ながら暴力による社会の変革を志向する者がやがて出現するようになっていました。特に、あるエジプトの思想家は西洋の『共産党宣言』の影響を受けた結果、政治的な圧制でも人種主義的な圧制でも、また同じ人種内における1つの階級による別の階級の支配でも、圧制者の軍を全滅させた後にイスラムは社会的・経済的な新制度を確立し、全ての人が真の自由を享受できるようになる」という理論を導き出しました。今日でも、この思想家の著書は世界中どこでも入手可能です。

 

(2) 過激思想へのサウジアラビアの関与

 さて、最近も体制に批判的なジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏の殺害事件で『渦中』にいるサウジアラビアですが、実は、統治者であるサウド王家が上記の過激思想の発展に関与していたのです。

サウジ政府、「失踪」記者が総領事館で死亡と初めて認める - BBCニュース

 サウジアラビアでは1979年、過激派グループ(サウド王家を背教者と決めつけている)がメッカのモスクを襲撃・占拠するという事件が起きました。時期を同じくして、イラン革命シーア派イスラム主義の台頭)とソ連アフガニスタン侵攻(無神論者の侵略)が発生。これらは、ムスリムの国家であり、スンニ派が多数派を占めるサウジアラビア(サウド王家)の目に脅威と映ります。

 対抗策として、サウド王家は自国に拠点を置き、イスラム教の各宗派の内で最も厳格かつ不寛容・保守的な思想をもつ宗派であるワッハーブ派の思想を普及させることにしたのです。潤沢なオイルマネーを利用してサウジアラビアは世界中にワッハーブ派のモスクや学校を沢山建設し、外国人がサウジアラビア国内の大学で学ぶための奨学金制度が創設されました。ワッハーブ派の思想を伝える参考書も大量に発行され、サウジアラビア政府から報酬をもらう説教師が各国に出入りするようになりました。更に、海外から産油国であるサウジアラビアに出稼ぎに来ていた諸外国のムスリム労働者らは、ワッハーブ派の教義とサウジアラビアの繁栄を結びつけて考えるようになり、母国にワッハーブ派の思想を頒布させることになったのです。

 ワッハーブ派の不寛容な思想は、アフガニスタンタリバン(9.11以前は、サウジアラビアパキスタン, アラブ首長国連邦からアフガニスタンの正当な指導者として認められ、支援すら受けていた)イラク・シリアのイスラム国に見事に受け継がれています。サウジアラビア政府は、自国内の古い神殿(イスラム教が発生する以前の信仰の痕跡があったり、他の宗派の影響を受けている)を破壊して回りましたが、タリバンは2001年にバーミヤンの大仏を爆破しています。また、イスラム国は占領地域で古代遺跡や他宗派のモスクを爆破して回りました。更に、サウジアラビア政府はシーア派を背教者扱いしていましたが、タリバンアフガニスタンパキスタンシーア派の虐殺を行いました。イスラム国も、シーア派のみならずヤジディ教徒に対して虐殺を行い、若い女性と子供は奴隷にして人身売買・性暴力の対象としていたのです。

ノーベル平和賞のヤジディ教徒の女性が、ISISの「性奴隷」にされた地獄の日々 | 渡辺由佳里 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

(3) 人道危機の戦犯たち ー サウジアラビア, 米国, イラン, ロシア

 上述の通り、サウジアラビアは対岸で発生したイラン革命を危険視しました。そして、第二次世界大戦以来の同盟国であり、イラン革命後にイランと一転対立関係に陥った米国との関係を深めて行きます。下の動画は、その経緯を説明した海外メディア、"Vox"の動画です。

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 1980年、サダム・フセイン率いるイラクはイランに侵攻し、イラン・イラク戦争が勃発します。その際、米国はサウジアラビアと共にイラクを支援しました。これ以来、イランはサウジアラビアを主体とするスンニ派の諸国と、その支援者である米国を益々敵視するようになりました。

 その後、2003年のイラク戦争でそのフセイン政権が崩壊すると、イラクシーア派スンニ派主体であったフセイン政権の抑圧から解放されます。すると、米軍の占領に抵抗するスンニ派勢力にサウジアラビアが支援し、イランはシーア派に加勢します。イラクは両者にとって、緩衝地帯だったからです。そしてここから、中東でスンニ派サウジアラビアvsシーア派イランの代理戦争が加熱していきます。

 2011年、中東各国で長年継続していた独裁政権に対する抗議運動が続々と発生します。当然、イランとサウジアラビアは首を突っ込んで行きます。そのうちシリアとイエメンでは内戦とそれによる人道危機にまで事態が発展しています。

① シリア

シリア内戦 - Wikipedia

シリア内戦の死者36万人以上、約3分の1が民間人 監視団発表 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News

 市民による非暴力的な抗議活動をシリアの大統領バシャール・アル・アサドが武力弾圧したことで、反体制派が武装蜂起し内戦に発展。スンニ派主体である反体制派にサウジアラビアの他、欧米諸国が支援を開始します。

 一方のイランはシーア派であるアサドを支援するため軍を派兵し、自身の影響下にある民兵組織ヒズボラも参戦させます。更に、ロシアも軍を派遣してアサド政権の支援しています。そして、これまで報道されているように、アサド政権軍は反体制派の支配地域に対して無差別攻撃を行い、医療機関を爆撃したり化学兵器を使用するなどして、『21世紀最悪の人道危機』を作り出します。

voiceofer.hatenablog.com

② イエメン

2015年イエメン内戦 - Wikipedia

CNN.co.jp : イエメン内戦、空爆継続なら1200万人が飢餓に 国連

 イエメンでは、アラブの春の影響で2011年に1978年から独裁体制を敷いていた大統領が引退しました。しかし、2015年に暫定大統領の政府(スンニ派主体)に対し、シーア派の一派であるフーシ派が反乱を起こし、これが内戦に発展しました。

 下記の動画(既述の海外メディア、'Vox'が作成)でも述べられてはいますが、イランがフーシ派を支援するのに対し、サウジアラビアは暫定大統領側を支援します。サウジアラビアは自軍を投入してフーシ派の支配地域を空爆し、海上封鎖等でフーシ派への支援物資・人員の到達阻止を図ります。しかし、空爆は学校・病院・住宅街といった場所まで標的にしてしまい、民間人に多大な犠牲をもたらしました。加えて、サウジアラビア軍による封鎖はイエメンに深刻な飢餓を招き、医療物資の不足や衛生環境の悪化によりコレラの大流行が発生してしまったのです。

 加えて、既に述べているように、サウジアラビアを支援しているのは米国です。サウジアラビアは米国製の兵器や、米軍の空中給油機からもらった燃料によってイエメン市民への攻撃を今も続行しています。

 メディアではシリアほど話題にならないものの、イエメンもシリアに並ぶ人道危機であると指摘されています。そして、その人道危機に加担しているのは(イランに限らず)サウジアラビアとその最大の支援者、米国なのです。

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(3) まとめ

 さて、国際社会はこういった人道危機に対して、適切に対処できているでしょうか?答えは日を見るより明らかです。確かに国際社会はシリアやロシア, イランに経済制裁を課していますが、自国民を虐殺するアサド政権に対して多国籍軍ないし国連軍を組織して討伐する動きはあったでしょうか(湾岸戦争リビアカダフィ政権, イスラム国に対しては、あれだけ欧米諸国の軍が動員されたのに)?サウジアラビアに対して、北朝鮮やシリア, イランに対するのと同程度の経済制裁は課されたでしょうか?そして米国はサウジアラビアへの軍事支援を止めたでしょうか?答えはいずれも"No"ですね。

 また、安全を求め中東各地から欧州から流れてきた難民を、非情にも欧州各国の世論や極右政権・極右政治家らは排斥しています。中東を植民地支配し、独立後も理不尽な介入を繰り返した欧米諸国がツケを払うべきだと私は思うのです。難民を保護した上で、難民が生じる原因となった危機的事態の解決の為にあらゆる手段・資源を投じるのが、欧米諸国が果たすべき責任です。