Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

日本のどっかに勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

呆れた『地域医療支援』の実態

  過日、某県(以下X県)の過疎地域(以下Y地方)の診療所で勤務する知り合いの内科医(以下A氏)と飲んでいたら、自治体や大学病院の、地域医療に対する余りにもお寒い対応を知ってしまったので、問題提起も兼ねてここに綴っておきます。

  Y地方では数年前、夜間に車同士の正面衝突事故が発生し、幼い子供と親が命を落とすという事案が発生したそうです。夜間でドクターヘリは出動できず、3次救急病院(救命救急センターがある)からは地理的に遠かった事も災いして、迅速な対応が出来なかったのです。

  それを契機に、X県庁はX大学病院と相談の上、Y地方に救急医療へ特化した小規模な医療センター(以下B医療センター)を新設することにしました。そこに勤務する医師は、X大学病院から入れ替わり立ち替わり派遣されてくる1名です。病床10床超とそこそこの入院施設に加え、救急外来のすぐ横に手術室を1個付けたり, CTを1台付けたり, ドクターヘリが着陸するヘリポートを敷地内に作ったり, ドクターヘリ搭乗や災害医療の研修を受けた看護師数人を常駐させたりと、鳴り物入りで始まった事業でした。

  問題は、実際に運営を開始してからでした。まず、B医療センターのトップはX大学病院の救急救命センターを定年退職した医師であり、救急医療分野と関連性は自ずと強くなる筈でした。しかし、B医療センターを管轄するX大学病院の部署は救急救命センターと別部署(以下、C部門)になってしまったのです。そのせいもあり、B医療センターに出向出来る救急医はC部門に在籍する2名のみです。しかも毎日出向する訳ではありません。救急医が当番になっていない日には、X大学病院の各診療科で持ち回り(整形外科医や呼吸器内科医, 腹部外科医など。小児科医は来ていない)です。

  その為、A氏は次のような苦い経験をしたそうです。ある日、腹痛を主訴に来院した患者を診察したのですが、身体所見で腹膜刺激症状を呈するなど、重症も疑われる状態でした。その段階で、そこから比較的近い別の大病院(とはいえ救急車で1時間程度かかる場所にある。以下D病院と呼びます)へ紹介する、という事も考えられたのですが、① D病院へいきなり紹介しても、患者受け入れを断られる可能性があった事(D病院も人手不足等で余裕が無いそうです), ② B医療センターでワンクッションおけばD病院に患者の紹介を受けてもらえる公算があった事,そして ③ B医療センターにドクターヘリが着陸可能で、患者の迅速な搬送が可能であった事 から、A氏はB医療センターへの患者紹介を決断します。ところが、救急医療センターの同日の当番医は整形外科1名でした。その医師は「消化器は専門外だ」と宣い、患者収容を断ったのです。結局、その患者はスムーズにD病院へ紹介できて事無きを得ました。他にも、軽症な発熱の小児患者がB医療センターを受診しようとしたら、その日の当番をやっていた内科医が「小児は診れない」(とはいえ、Y地方の小児科医は極めて少ない上、開業医なので土日祝日は休み)と断った事例も何例かあったそうです。そうした経緯から、A氏はB医療センターの在り方について少なからず不満を覚えていました。

  鳴り物入りだったはずなのに、患者対応/収容が出来ない事例が多発するのは当初の目標に沿っていないと思われます。仮に救急医や総合診療医がB医療センターのその時の当番であれば、一旦急患を収容し、鑑別診断・重症度の判断・蘇生治療と並行して、専門的治療が可能な施設に紹介する手筈を整えられるのですが、実際は専門がそれぞれ異なる医師が1名だけ、入れ替わり立ち替わりやって来るのが関の山です。

  それに加え、そもそも冒頭で述べたような重症の症例へ迅速に蘇生治療を行う為に手術室まで付けたのに、勤務する医師は1名だけというのは矛盾しています。手術室での蘇生を想定するなら、救急医だけでは足りず麻酔科医や整形外科医・腹部外科医・心臓血管外科医・脳神経外科医etc.と複数診療科から複数名が出向しないと無理な筈です。

  なぜこんな事になったのか、分析し以下にまとめてみます。

1. 長期的視野が欠落している:  X県も大学病院も、ハコモノを建てただけで満足してしまっている。肝心なのは建てた後の運営であるが、既述の如く失敗している。

2. 大学病院内の部署間の連携が出来ていない:  B医療センターに出向出来る救急医はX大学病院C部門の2名だけで、同大学病院救急救命センターからは出向していない。その上、本来は複数の診療科から複数名の医師が出向するのが妥当な運営方法なのだが、それを実現出来ていない。

3. Y地方のニーズを把握していない:  A氏らの意見を聞いた上で運営方式に活かしていれば、上述のような失敗事例を繰り返さずに済んだ筈である。

  これまでも本ブログで指摘して来ましたが、先の大戦において日本軍

①長期的視野の欠落(とそれによる情報・防御・科学技術・補給の軽視)

②異なる組織/部署の連携が成立しなかった(海軍と陸軍が反目し、陸海空の兵力も統合して運営できない)

③前線からのフィードバックを受けていないので、戦訓の学習や計画の修正が出来ない

という欠点を抱えており、これらの修正を怠ったために敗戦を迎えたのです。自治体や大学病院/医師会はまさに、同じ轍を踏んでいるのです。

  加えて、私にはB医療センターが太平洋戦争末期に沖縄への海上特攻作戦に投入された戦艦『大和』に重なって見えるのです。大和は確かに、当時の日本の建艦技術の粋を集めたモノだったので、分厚い装甲や強力な主砲といった装備が目白押しでした(大型戦艦同士の決戦には最適だった)。しかしその反面、レーダーや対空砲火といった装備が不足しており、後で付け足したものの、今度は乗員の練度が不足しており、これらの装備を扱い慣れていなかったのです。このような状態で出撃した大和は、沖縄に着くはるか手前(鹿児島県の坊ノ岬沖)で米軍機の波状攻撃を受けて沈没してしまいました。

  先進的/高度な技術が1点に集中しているものの、他の部分を構成する要素(特にソフトウェアや人員の育成・補充)が絶望的に立ち遅れているが為に、期待した程の成果を上げることなく大失敗に終わるという典型例を、B医療センターは繰り返しつつあると言わざるを得ないでしょう。

  国や自治体, 大学病院が硬直的な発想から離脱し、医療インフラの維持に貢献してくれる事を願ってやみません。