Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

日本のどっかに勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

本の紹介(4); 『主権なき平和国家』

 今日は、また本を紹介したいと思います。

『主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿』 著者; 伊勢崎賢治, 布施祐仁 集英社

 名前から想像がつくとは思いますが、この本のテーマは日米地位協定です。主権国家内に、異国の軍隊が駐留するという異常事態において、「その国に滞在する外国人は、その国の法律に従う」という原則へ『例外』として設けられたのが地位協定なのです。

 どうしてそのような例外が設けられたのでしょうか?刑事裁判権を例に取ってみましょう。1953年、米国はNATO加盟国との地位協定の議会での批准がなかなかうまく行かず困っていました。当時の上院に、米兵が外国の『劣った司法制度』の下で裁かれることを嫌った議員らが居たからです。その為、NATO地位協定の付帯決議に「派遣された国で、米国の憲法が被疑者に保証する権利が守られない危険性がある、と駐留米軍の司令官が判断した場合には、その国に裁判権の放棄を要請せねばならない」といった条文が記載されたのです。NATO以外の同盟国(日本, 韓国, フィリピン他)との地位協定も同様になった事は言うまでもないでしょう。しかしながら、国によって様相が異なります。

 日本の場合、日米地位協定の第17条5(c)には次のような条文があります。

「日本国が裁判権を行使すべき合衆国軍隊の構成員又は軍属たる被疑者の拘禁は、その者の身柄が合衆国の手中にあるときは、日本国により公訴が提起されるまでの間、合衆国が引き続き行うものとする。」

米兵ないし米軍属の被疑者の身柄を米国側が確保した場合、日本側が起訴するまで米国側が被疑者の拘禁を続けるのです。従って、日本側は被疑者を逮捕して強制捜査する事ができません。その為日本の警察は証拠集めが十分にできず、結果的に不起訴となるケースが多いのです日本政府はこれについて「米軍は日本の警察の捜査へ協力的だから問題ない」と説明していますが、あくまで任意捜査の枠内なので、被疑者本人から同意が得られなければ捜査は米軍が行い、日本の警察は取り調べを行えません。しかも、米軍の『拘禁』には、上官による外出禁止命令という緩い措置も含まれます。そのような場合、基地内の行動は制限されないので証拠隠滅は容易に行えます。

 このような取り決めのせいで辛酸を舐め続けていたのが、米軍基地の集中する沖縄です。そして1995年9月の米兵による少女暴行事件(沖縄県警は被疑者の身柄引き渡しを要求したが、米国は地位協定を理由に拒否)で沖縄県民の怒りは沸点に達しました。激しい抗議運動を受け、同年10月に日米合同委員会(地位協定の運用や解釈の詳細について決定する機関)は「殺人と強姦の場合に限って、起訴前の身柄引き渡しを可能とする」ことで合意しました。しかしこれはあくまで『運用レベルでの改善』です(日米地位協定の改定は行われていない)実際は、米国が日本側の身柄引き渡し要請に対して『好意的な考慮を払う』という事になっており、義務ないし強制ではないのです。

 一方韓国は事情が異なります。2001年まで、韓米地位協定では「被疑者の身柄は、判決確定後まで米国が確保する」と規定されていました。しかし、同年2月にソウルの米軍基地近くの外国人専用クラブで働いている韓国人女性が、性交渉の要求を拒否した為に米兵に殴られ絞殺されるという事件が発生しました。韓国当局が被疑者米兵の逮捕をできなかった事から韓国世論は沸騰し、地位協定改定を求める声が高まりました。これを受けて、韓米地位協定の改定が行われました。12種の凶悪犯罪について、身柄引き渡し時期は判決確定後でなく起訴時に改められ, 「合衆国の軍当局は、特定の事件における大韓民国の当局の身柄の引き渡し要請に対し、好意的な考慮を払う」といいう条項も盛り込まれます。

 しかしながら、同時に「拘禁の引き渡し後、24時間以内に起訴されなければ釈放しなければいけない」という、事実上前記の規定を骨抜きにする条項も付け加えられてしまいました。この条項も、10年後の2011年の9月に米兵による強姦事件2件が発生したことがきっかけで翌2012年5月には削除されました。その後の2013年3月、米兵がソウル市内で市民に向けてエアガンを乱射、警察の検問に応じることなく逃亡を測った事件が起きた時には、在韓米軍は韓国当局の求めに応じて起訴前の被疑者身柄引き渡しを履行しています。

 

 また、ニュースでは米軍機の故障・墜落(とそれに振り回される近隣住民)もよく話題に上りますが、これも日米地位協定が関わってきます。米軍が起こした事件・事故に関しては、日米地位協定第17条10にて、「基地敷地内では米軍が警察権を行使できるが、基地の外では原則として日本側が警察権を行使する」と規定されています。また、「米兵間の規律・秩序の維持の為に、必要な範囲に限って基地の外でも例外的に警察権の行使を認める」(例; 基地周辺の歓楽街で、米兵が酔って暴れるという自体を阻止する為に憲兵がパトロールする)という規定もあります。

 このような規定に基づけば、米軍基地の敷地外で起きた米軍機事故に対して日本当局が警察権を行使できるはずなのですが、日米両政府は地位協定の合意議事録という形で骨抜きにしてしまっています。基地の外であっても、米軍の財産に対する捜索・差し押さえ・検証を行う権利を放棄することを認めたのです。2016年12月、沖縄県名護市の沿岸で米軍海兵隊オスプレイが墜落した際、日本の海上警察権を管轄する海上保安庁は、航空危険行為処罰法違反での立件の為に、米軍へ現場検証などの捜査協力を申し入れたのです。しかし米軍は海上保安庁の捜査に同意せず、機体を解体・撤去してしまいます。海上保安庁が現場を捜査できたのは、その後でした。

 他方、NATO加盟国の一つであるイタリアではかなり違ったエピソードを見ることができます。1998年に、低空飛行中の米軍機がロープウェーのワイヤを切断してしまい、乗客とオペレーター20名が死亡するという事故が発生しました。事故が起きた翌日、イタリアの検察当局は米空軍の基地に立ち入った上、事故機を検証し乗員4名に事情聴取を行なっているのです(日本では無理)。この4名と、監督者の将校3名は過失致死等の容疑でイタリアの裁判所で起訴されました。最終的に、「公務執行中の事故の第一次裁判権NATO地位協定に基づき、米国側にある」と判断されて訴えは棄却されていますが、米軍の軍法会議で責任の追及が行われています。

 更に、米軍の事故調査委員会にはイタリア空軍の将校も参加して、「事故機が規定の最低飛行高度よりも低空で飛行し、速度も制限速度を超過していた」とする報告書を作成しています。また、イタリアの国防大臣はこの地域の米軍機の最低飛行高度を300メートルから600メートルに引き上げました。しかも、駐留米軍の飛行訓練を事前承認制にすることや、低空飛行訓練の回数を制限することで合意しているのです。

 この背景には、米国とイタリアの間で、地位協定に関する取り決めがあるというのは言うまでもないでしょう。両国は1995年に『イタリア駐留米軍による基地・施設の使用に関する了解覚書』を締結。その中で「基地の管理権は原則イタリア側にある」と規定したのです。従って、米軍は作戦・訓練・事件・事故といった重要な行動について、事前にイタリア軍司令官へ通知せねばなりません。しかも、米軍の訓練・作戦行動はイタリアの法律に従わなければならず、イタリア軍司令官が「米軍の行動が一般市民に危険を及ぼす」と判断した場合はイタリア側が中止を命令できるのです。

 ここまで上げた実例は、この本で言及された事例のほんの一部に過ぎません。これら以外にも、愕然とするような事例が読めばどんどん出てきます。そして筆者は、日米地位協定・米軍基地の問題は、沖縄だけの問題ではない。日本の主権に関わる問題だ。本来、米国が他国と結ぶ地位協定は、相手側の主権に配慮して締結されるものである。しかし日本は未だそうなっていない」という旨の『警告』を全国民に発しているのです。