Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

日本のどっかに勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

翁長沖縄県知事死去に寄せて

 こんにちは。出張中は書かないつもりでいたんですが、心に引っかかったニュースがあったのでブログ更新します。

 昨日8/8に、沖縄県知事翁長雄志氏が膵臓癌で死去(肝転移していたというので、肝不全でしょうか?)しました。沖縄県民の意思をほぼ無視した形での普天間基地辺野古移設に、県民代表として反対を表明し実行に移していた最中での死去という形になってしまいました。

 このニュースや沖縄県, 在日米軍基地問題の事で、私はあるエピソードを思い出しました。といっても、『英雄たちの選択』という、NHK BSプレミアムで毎週木曜日にやっている歴史ドキュメンタリー?番組ですが(下記リンク参照)。

http://www4.nhk.or.jp/heroes/x/2018-07-26/10/22971/2473144/

 時は遡り明治時代、笹森儀助という官僚(兼探検家。旧弘前藩, つまり青森県出身の氏族)がいました。彼は1891年から翌年にかけて、北海道を含めた日本全国を旅行し、現地で見聞きした情勢(農業・漁業等の産業の生産能力や庶民の生活の実態)を報告書にまとめ、井上馨を通して明治天皇に奏上した事で、明治政府に良い意味で注目されていました。その為、1893年に今度は井上が笹森に南西諸島(もちろん沖縄を含む)の砂糖生産能力について調査するよう依頼したのです。

 彼は任務を遂行するのですが、その過程で現地住民の過酷な生活を見聞きするのです。当時沖縄は、本土にはない人頭税を徴収されており、これは米という形で納めねばなりません。しかし沖縄の土地や気候は稲作に不向きであり、毎年不作でした。にも関わらず現地の役人らは所定の額を徴収していたのです。しかも学校や医療機関をはじめとするインフラも本土と比較して未整備です。当時の住民は、食料が手に入らない・マラリア等の感染症の影響で、人がバタバタ死んで行き、集落が丸ごと全滅するような悲惨な状況でした。当然これに抗議する人々は居ましたが、現地の役人らはサーベルで武装した官憲を差し向け、丸腰の住民を威嚇し鎮圧していました。

 笹森は、この状況を放置しませんでした。政府への報告書及び、自著(世間一般向けに報告書を発刊した)で南西諸島の惨状を訴えたのです。「沖縄の住民も天皇陛下の赤子ではないか。なのに何故このような扱いを受けているのだ?何故文明開化の恩恵を受けていないのだ?」この報告書は世論に大いに反響を生みます。明治政府も行動を余儀なくされ、沖縄の統治体制を改革し人頭税は廃止されました。下に笹森儀助に関するWikipediaの記事を貼っておいたので、ご参考までに。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%B9%E6%A3%AE%E5%84%80%E5%8A%A9

 打って変わって現代日本はどうでしょう?日米同盟の必要性はさておき、在日米軍基地の大半が沖縄県に集中しているのです。日米政府間では一応「地位協定」なる取り決めが存在し、米軍の一挙一動はこれにより規制を受けていますが、事実上在日米軍と米国政府が(日本政府や、基地がある地域の住民/自治体の意向には御構いなしで)好き勝手やれるような形にされています。

 地位協定の具体的な内容や、どこが問題なのかといった点は、『主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿』(著者: 伊勢崎賢治, 布施祐仁 集英社クリエイティブ)

 

という本に詳しく記載があります。私も以前から、沖縄の基地問題には多少なりとも興味はあったのですが、この本を読んで刮目するような実態を知り、尚更強く関心を持つようになりました(別の機会にこの本の書評を本ブログへアップする予定ですので、よろしくお願いします)。

 今の日本や沖縄の状況は、それこそ明治政府を牽引してきた先人たちからすると失望を禁じ得ない状況でないか、と私は思ったのです。事実、日米関係は本来対等であるべきなのに、地位協定だけ米国やその軍隊の勝手がまかり通っているのが実情なのですから。沖縄だけの問題と考えず、日本国の課題として国民全員が真剣に検討すべき事項だと考えます。