Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

日本のどっかに勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

【医療関係者向け】化学兵器攻撃への対応(1)

 麻原彰晃死刑囚への死刑執行が報道され、オウム真理教地下鉄サリン事件がまた話題になっていたので、今回は化学兵器攻撃に対する対応を医療の観点からまとめてみたいと思います。今回参考にしたのは今年4月に掲載されたreview article, 'Toxidorome Recognition in Chemical Weapons Attacks' N Engl J Med 2018;378:1611-20です。

 

(1)どのような兵器が問題になるのか

 テロ攻撃等に好んで使われる物質の特徴は、①揮発性である, ②呼吸器ないし皮膚を通して迅速かつ効果的に吸収される, ③致死的効果或いは無能力化効果が急速に発症する, の3点です。

 では、具体的にどのような物質が化学兵器として使われうる(使われたことがある)のでしょうか。以下に挙げておきます。

1. 神経剤

 代表的な物質; サリン(最近では2017年にシリア政権軍が反体制派支配地域の住宅密集地で使用), VX(2017年、マレーシアで金正男の暗殺に使用), 有機リン酸塩(農薬)

 症状; 初発症状は精神状態の変化, 筋攣縮。進行すると分泌物の増加, や昏睡など。

 拮抗薬; アトロピン, プラリドキシム 

2. 窒息剤

 代表的な物質; シアン化水素, 塩化シアン

 症状; 初発症状は呼吸困難。進行すると痙攣, 昏睡など。

 拮抗薬; ヒドロキシコバラミンorチオ硫酸ナトリウムに加え、硝酸ナトリウム

3. オピオイド

 代表的な物質; カーフェンタニル, フェンタニル(2002年にモスクワの劇場でテロリストを制圧するために使用された), レミフェンタニル

 症状; 初発症状は昏迷, 。進行すると呼吸抑制や昏睡に至る。

 拮抗薬; ナロキソン

4. 麻酔剤

 代表的な物質; クロロホルム, ハロタン, 二酸化窒素

 症状; 初発症状は昏迷。症状が進行すると呼吸抑制, 鎮静などを来す。

5. 抗コリン剤

 代表的な物質; 3-キヌクリジニルベンジラート, Agent 15(2012年シリア政権軍が使用), アトロピン

 症状; 初発症状は昏迷・幻覚など。症状が進行すると、発熱, 皮膚乾燥を来たし、昏睡に至ることもある。

6. Vesicant agent

 代表的な物質; マスタード(2016年にISILがイラクとシリアで使用), ルイサイト, ホスゲンオキシム

 症状; 皮膚粘膜の刺激症状, 咳嗽 ,熱傷, 水疱形成。最悪の場合昏睡や痙攣など。

7. Caustic agent

 代表的な物質; 塩酸, フッ化水素酸, 硫酸(2017年のロンドン。おそらくギャングの抗争やDVにおける使用のことか)

  症状; 熱傷や粘膜刺激症状, 咳嗽。

8. 暴動鎮圧剤(催涙ガス  

 代表的な物質; クロロアセトフェノンなど(1982年のフォークランド紛争で、英軍に対し使用された)

 症状; 眼球刺激症状, 咽頭刺激症状, 呼吸器症状

9. トリコセテン(真菌)毒素

 代表的な物質; T2トキシン(1970年代にベトナム戦争で使用?)

 症状; 皮膚の発赤・刺激症状, 眼球刺激症状。進行すると嘔吐や出血などを来す。

10. Pulmonary agent

 代表的な物質; 塩素(2017年にシリア政権軍が使用), ホスゲン, ジホスゲン

 症状; 眼球・皮膚・咽頭の刺激症状や呼吸促迫など。

11. ボツリヌス毒素

 症状; 複視, 嚥下困難。進行すると下行性麻痺や呼吸停止を来す。

 

(2)診療にあたっての注意点

 こうした化学兵器の攻撃に遭った患者さんの診療にあたって、まず注意すべき点は次の2点です。

除染を行う(体表面に残った物質が体内に吸収されて更に毒性を発揮するため)。

②最も即効性で致死的な物質(神経剤, オピオイド剤, 窒息剤)を迅速なトリアージによって特定し、直ちに拮抗薬を投与する

症状をもとにトリアージを行うシステムが考案されており、CBRN(Chemical, Biological, Radiological, Nuclear)システムやMadsenプロトコルというものが存在しています。

 また、化学兵器は通常兵器(火器, 爆発物)と組みわせて使用される事が多く、多数傷病者事案になってしまいます。そのため化学兵器による症状が見逃される危険性があるのです。従って、

①爆風・銃火器による被害よりも傷病者が多いと思われる

②外傷が無い傷病者が多数いる

③同一症状で倒れた傷病者が多数いる

という状況では化学兵器を疑う必要があります。

 加えて、医療スタッフの安全確保も必要です。防護服等の装備が完了するまでは、救助に当たるスタッフはガスないし蒸気が存在する場所から少なくとも50メートルは離れ、その場所に対して風上に居なければいけません。 更に、攻撃を受けた場所が1箇所か, 或いは複数箇所かによって、防護策は左右されます。1箇所のみで遭った場合は、最重症患者は攻撃された箇所に最も近い場所に固まっており、距離が遠くなるにつれて患者の重症度は下がります。他方攻撃が複数箇所で行われた場合は、複数箇所で最重症患者の集団が見られるのです。こうした患者の症状と分布を参考にして状況を判断する事も求められるのです。

 また、救助にあたっては現場の区域分けが必要です。具体的には、

ホットゾーン:  汚染された区画

コールドゾーン:  汚染されていない区画

ウォームゾーン:  ホットゾーンとコールドゾーンの間にあり、除染を行う区画

と3つに分けられます。

 

 このままではかなり冗長なまとめになってしまいそうですので、本日はここで中断します。後日、第2部をアップロードする予定です。内容は、具体的な初期診療の流れ(論文の後半)です。

 拙いとは思いますが、次回以降も宜しくお願い申し上げます。