Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

日本のどっかに勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

【海外メディア記事より】ウクライナ首都防衛戦の内情

 こんばんは。現役救急医です。今日も前回に引き続き、ロシアのウクライナ侵攻に関する海外メディアの記事を紹介してみます。今日参考にするのは、英国の新聞'Guardian'が昨年12/28に発表した記事"The battle for Kyiv revisited: the litany of mistakes that cost Russia aquick win"です。

www.theguardian.com

今回も、記事の中で重要そうな部分を抜粋し, 自己流で翻訳(多分雑で不正確)してまとめてみます。

 

(1) ロシア侵攻までの流れ

 2021年3月からロシア軍はウクライナ-ロシア国境やウクライナ-ベラルーシ国境に留まっていたが、米英の情報機関が「ロシアはウクライナに侵攻するつもりだ」と確信したのは同年秋であり、実際に情報機関から西側諸国メディアにこうした情報が提供され, 報道されるようになった。

 その頃からベラルーシに駐留するロシア軍はチョルノービリを通過してキーウを攻撃するが, これと並行して空挺部隊によってキーウ北西部に位置するホストメリ空軍基地(アントノフ空港)を確保し、そこから後続の部隊を送り込んでキーウを包囲・占領する」というロシア側の計画を西側情報機関は掴んでおり、ウクライナ当局にも情報共有された。事実、2022年1月にはCIA長官のバーンズが直接ウクライナ大統領のゼレンスキーに面会し、ロシアのホストメリ空軍基地占領計画を伝えている。但しゼレンスキーは西側から提供された情報やロシア軍の動向を軽く考えていたフシがあり、彼がウクライナ軍の予備隊を招集したのは侵攻開始前日の2/23であった。

 他方、ウクライナ国境に居たロシア軍兵士の大半は侵攻計画のことを知らず, ベラルーシのKhoyniki(キーウから約48.3キロ北方に位置)に駐留していたロシア兵らは、酒を飲んだり, ディーゼル燃料を転売したりして過ごしていた。但し一部の精鋭部隊はウクライナ侵攻計画について事前に連絡を受けており、「キーウは半日で陥落する」, 「攻撃開始から3日後くらい経ったらキーウ市内でパレードを予定しているので、儀礼用の制服を持っていくように」とまで言われていたとのこと。

 ロシア側だけでなく西側諸国の政府も当初、「ウクライナはすぐにロシア軍に屈し, キーウは72時間程度で陥落する」と考えていた。事実、ロシア側の兵力は15万とウクライナ軍の全兵力と同等な上に、戦車の数が圧倒的であり, 航空戦力やミサイルの戦力もウクライナを上回っていた。

 

(2) ホストメリ空軍基地及びキーウ市内の戦闘

 2022年2/25にホストメリ空軍基地はロシア軍の空挺部隊に制圧された。しかしロシア軍が航空支援を十分行わなかったせいで、空軍基地近隣のウクライナ側の地上部隊は無傷だった。これらの部隊の反撃により、ロシア軍は応援部隊を送り込むことが出来なくなった。ちなみにホストメリ空軍基地を防衛していたウクライナ側の戦力は「150名そこそこ」の'National Guard of Ukraine'(ウクライナ国家防衛隊?)の旅団であり, 当時、首都防衛に当たる兵力の大半(10個旅団)は、同国東部のドンバス地方へ送られていたとのこと。

 またロシア軍はウクライナ軍の指揮系統を破壊するための空爆・ミサイル攻撃が徹底で、専門家曰く「本来は72時間は継続が必要」とされるこうした攻撃を7時間しかやらなかったとのこと。加えてロシア軍は、キーウにある大統領官邸等の政府庁舎の空爆も行わず、かわりに特殊部隊を送り込んでゼレンスキーを誘拐ないし殺害しようとしていた。実際、ロシア軍による侵攻初日の夜間には、キーウの官庁街で銃撃戦が発生し, 政府首脳らに銃や防弾ベストが配られた。

 それでもゼレンスキーらウクライナ政府首脳はキーウを離れることはなく、2/25の夜にはゼレンスキー自身がネット上に「我々はここに居る」と述べる動画を投稿した。ゼレンスキーは上述のように西側情報機関等からの事前の警告を真に受けなかったことに関して批判は受けているが、ロシア軍侵攻開始後はキーウに留まることにより、ウクライナ国民の団結を促した。

 

(3) ウクライナ北部での首都防衛戦

 ベラルーシから越境してキーウに向かう部隊は、シンクタンクの報告書曰く「その他の都市が既に制圧されたかのように動いており、キーウに届くスピードだけを重視して道路に行列を作っている」有様だったという。その時ウクライナ北部に侵攻したロシア軍は、兵力の上でロシア:ウクライナ=1:12と圧倒的優位であった(当時のウクライナ軍は、多くが東部に配置されていた)。

 他方、キーウ防衛を託されたウクライナ側の兵力は3個旅団であり、うち2個は砲兵旅団で, これらの旅団は備蓄が持ちさえすればロシア軍の火力に何とか太刀打ちできる規模であった。メディアでは『ジャベリン』や'NLAW'といった携行式対戦車ミサイル(小火器)が戦車を破壊するイメージが流布されたが、実際のところ、ウクライナ北方から攻め寄せるロシア軍を頓挫させたのはこれらの砲兵旅団(榴弾砲等の重火器)であった。

 事実、侵攻から3日目にはロシア軍はキーウから北に約20.9キロの位置のブチャとイルピンの間で停止してしまっており、同地では破壊されたロシア軍の車両の残骸が路上に沢山転がっているような有様だった。その結果、約64.4キロに及ぶ車列がベラルーシ国境から延々と形成されることとなり、この『渋滞』はウクライナ軍の格好の標的となった。ウクライナ軍は砲撃や待ち伏せ攻撃, 果ては小規模ながら空軍による2~3日間程度の空爆によってこの『渋滞』を攻撃し続け、この軍団への補給が追いつかないこと, ウクライナの他地域(東部や南部)への侵攻も同時にやっていたことから、とうとう侵攻開始から35日目にロシア軍はキーウ侵攻を中止した。

 専門家曰く、プーチンらロシア政府上層部は、戦況やウクライナの実力に関する判断を誤っていたが故にキーウ攻略に失敗した。なお戦争は依然終わりが見えず、ロシア軍のキーウ攻略失敗は、この戦争の単なる序章に過ぎない。

 

 敵軍の戦力を甘く見積もったり, 「敵はすぐに屈服するはずだ」という甘い予想(ないし願望)だけを根拠に作戦を立案・実行したり, 指揮系統が異なる組織を連携して動かすことが出来なかったりと、ロシア軍は、これまでこのブログYouTubeチャンネル紹介した書籍『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(寺本義也, 戸部良一ほか著; 中公文庫)で紹介された旧日本軍の失敗と似たようなヘマをやらかしています。ただ当時の日本軍と今のロシア軍で異なる点は数多あり、21世紀の軍隊は総じて、第二次世界大戦当時の連合国・枢軸国軍いずれと比べても近代化が進んでいること, 米中と比較して経済力や技術力などは見劣りするかもしれないが、ロシアも核兵器保有し、それなりの通常戦力も保有し、安保理常任理事国であること, ロシアは自国内に豊富な地下資源を保有しており、経済制裁の影響は受けるであろうが、当分の間これらの資源の輸出や国内利用等により持ち堪えるであろうこと は決して軽視できません。『軍事大国の戦争犯罪が看過され、侵略行為がそのまま受け入れられてしまう』という前例をこれ以上作らないためにも、 少なくともウクライナがロシアに占領された全領土を奪還し, ロシアが屈服し, ウクライナが十分復興を果たすまでは対ウクライナ支援・対露制裁を継続(そして現状よりも強化)すべきです。

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【海外メディア記事より】ロシアは何故ウクライナ侵攻でしくじりまくっているのか

 読者の皆様こんにちは。現役救急医です。COVID-19第8波の影響はまだまだ続いています。死者が増え続けているとのことですが、主に高齢者が亡くなっており(加齢によって、免疫だけでなく循環器・腎臓等の全身機能が衰えているため)、ワクチン接種やマスク装着, 多人数と同じ空間で一緒になる行動を避ける, 体調不良時は人との接触を極力減らす 等の基本的な感染対策が必要なことは変わりません。中にはコロナワクチン副作用を気にして接種を見合わせる・延期する人も居るようですが、COVID-19罹患による症状・合併症・後遺症はワクチン副作用よりも明らかに重く, 長引くので、そこらへんを冷静に考えて頂きたいものです。まあそれ以前に、ワクチン副作用で体調が悪くても出勤せねばならない(或いはCOVID-19治療/隔離期間後に、後遺症がきつくても出勤せねばならない)今の日本の労働環境もどうかと思いますがね。

www.nytimes.com

 前置きが長くなりましたが、今日は、ちょっと前にTwitter上でたまたま見つけたアメリカの新聞社'New York Times'の記事"How Putin's War in Ukraine Became a Catastrophe for Russia"の内容をざっくり紹介してみようと思います。なお、ここから先の内容は、記事の内容を自分なりに要約しており, 語句や文章の翻訳が自己流/雑である可能性もあるので、予めご了承下さい。

 

(1) 初っ端からしくじったロシアの侵攻計画

 ロシア軍は開戦劈頭に150発以上のミサイルを発射し、75機のロシア軍機がウクライナ領空に侵入した。しかしウクライナ軍の空軍基地や航空機はほぼ温存されていた。ロシア空軍の航空機は数(ウクライナ:ロシア=1:15くらい)や性能の上でもウクライナを上回っていたはずであり、ミサイルの数や性能も同様であった。しかしウクライナ軍は開戦前に地対空ミサイルシステムを別の場所に移動させており、ロシア軍のミサイルは、これらの装備が移動した後の何もない場所ばかりに命中していた。ウクライナ空軍が拠点を移動させても、ロシア軍の諜報部が情報をアップデートさせてからその場所を攻撃するまでに48~72時間は掛かっており, その間にウクライナ軍は地対空ミサイルシステムや軍用機をまた別の場所へ移動させていた。その後、ロシア空軍の対地攻撃機は護衛の戦闘機をつけずに出撃し、ウクライナ軍機に撃墜された3月に入ってからロシア軍機はレーダーに写らないよう低空で飛び始めたが、今度は携行式地対空ミサイルの餌食になった。

 侵攻開始時にウクライナ国境に駐留していたロシア陸軍兵士も、戦争に行くとまでは思っていなかったベラルーシに駐留していた『機械化歩兵旅団』は、2022/2/24の夜明け前に出発し, 同日の午後2:55ごろにキーウに着く予定だった。しかし現実は、ベラルーシ国境を越えるだけでも1日以上はかかった。

 また、同日7時ごろに別の部隊('26th Tank Regiment')へ出された司令では、「国境からドニプロ川渡河地点(そこからキーウへ2時間程度)までの約400 kmを24時間で突破する」とされ, 「その地点で防御態勢に入り、南や東から攻めてくるウクライナ軍を防ぐ」・「そこまで装備・人員の補充の予定はなし」という計画になっていた。実際のところ、この部隊は目標地点から数百キロ足らずの所で壊滅し, 3週間で16両の車両を喪失した。他にも、チェルニヒウ近郊では別の30,000人以上のロシア軍部隊が、森に潜んでいた1/5の規模のウクライナ軍混成部隊に対戦車ミサイルで迎撃され壊滅した。

 ロシア軍はアントノフ空港をヘリ輸送で次から次へ兵士を送り込んで制圧しようとしたが、ウクライナ軍は携行式地対空ミサイルで迎撃し、300人の空挺兵が死亡した。空港の設備や航空機は大損害を受けたが、ロシア軍の占領を免れたロシアはアントノフ空港へ兵員等を続々と送り込み、その兵力でキーウを一挙に制圧しようとしていたが、その計画は頓挫したことになる。

 ロシア軍の諜報機関'GRU'所属のハッキング専門部隊はウクライナのネットワークに侵入して遮断しようとした直ちに検知され、ダメージは最小限で済んだ。その後もネットワークの遮断/破壊を試みたがプログラミングのエラーで動かず、今度はウクライナの衛星通信を攻撃し、2/24の午前6:15にダウンさせたしかしウクライナ軍はバックアップの衛星通信システムを用意していた。

 ロシア軍の侵攻が失速して食料や水が欠乏すると、ロシア兵は略奪を開始した。ついには車両のガソリンタンクに穴を開けたり, 戦車のガソリンタンクに砂を入れる者まで現れた。ロシア兵は自分の携帯電話で故郷に電話をかけ, その際にウクライナの通信ネットワークを利用していたので、ウクライナの情報機関に位置情報がバレて盗聴され, これらの情報はウクライナ軍の反撃や待ち伏せに利用された。中には、TikTokに上げた動画のせいで位置がバレて攻撃された事例もある。

 

(2) プーチンが侵攻を決意するまで

 プーチンウクライナは、西側諸国がロシアを弱くするために人工的に作った国家だ」と信じていた。2014年のクリミア侵攻の際にウクライナ軍が抵抗できず、西側の経済制裁が小規模だったことでプーチンは調子に乗ったフシがある。以前からプーチンは西側諸国を敵視していたが、2020年以降、彼は自分と世間を隔離する(e.g., 面会者を3日間隔離し, その後の面会ではプーチンと面会者の間に約4.6メートルの距離が置かれた)ことで益々過激化に陥った。16ヶ月間も西側諸国の首脳と合わず, 会議は全て自室からビデオカンファレンス(i.e., Zoomのようなものを使用)形式で行った。

 プーチンは当初、ユダヤ系でロシア語を話すウクライナ東部出身のゼレンスキーに期待していたが、ゼレンスキーはプーチンの期待通りには動かず, ウクライナ国内の親露派有力者を弾圧・冷遇した。2021年10月にイスラエルの首相と会談した際に、プーチンはゼレンスキーへの怒りを爆発させる様子を見せており、西側諸国の諜報機関は「この頃には既にプーチンウクライナ侵攻を決断していた」と考えているしかしロシア政府内部の人間はプーチンウクライナ侵攻を予想すらしておらず, 直前になって知らされた者ばかりだった。

 

(3) ロシア軍は何故こんなに『弱体化』したのか

 プーチンは何年もかけて軍に数十億ドルの予算を投じて近代化し、汚職を一掃しようとした。しかしプーチン政権下では才能や正直さよりも忠誠心が優先され、ごた混ぜのエリート兵士や, 書類の上でのみ先進的な戦車と軍団が生まれることとなった。

 2008年のジョージア侵攻でロシア軍は散々な目にあったので、当時の国防相は軍の改革に着手し、その過程で予算の透明化を試み, 40,000人の将校を強制的に退役させたが、彼は2012年に逮捕され辞任した(後任にはショイグが就いた)。その後も軍の汚職は続いた。例えば、モスクワ防衛を担う戦車師団の基地は宿舎が荒れ果て, 予算は着服されていたが、2016年に政府要人の訪問予定が判明するや否や国防相の副官は慌てて業者に依頼し, 建物の表面だけを簡単に修復するように依頼した。依然ロシア軍内部では汚職による被検挙者が多発している。そしてウクライナ侵攻後、ロシア軍の装備は不良品が多く, 供給不足に陥った。

 ロシア軍は、長年にわたりカリーニングラードバルト海), クリミア(黒海), タルトゥース(地中海, シリア)などに配備した長距離ミサイル等の遠くから打撃を加える手段を揃えて米軍やNATO加盟国軍を阻止すること」を主眼に組織されていたため、ウクライナのような広い国の侵攻・占領に適していない。またロシア軍は「歩兵・空軍・砲兵を協調させて迅速に動かし, 別の箇所で同じことをやらせる」という訓練が不十分だった。

 

(4) 崩壊していく前線のロシア軍

 ロシア軍歩兵への訓練は全くもって不十分であり、狙撃兵の訓練は、徴兵された兵士が自分でYouTubeを視聴してやっている有様だった。『ルハンシク人民共和国(ロシアが支援するウクライナ東部の分離主義勢力)』の歩兵部隊でも衣服や防弾ベストが足らず, 1940年代に製造されたヘルメットを使い回し, 徴用された兵士の中には50歳代と比較的高齢な者が多く含まれるような状況だった(その上、心不全既往がある者すら徴兵されていたという)。

 このような有様なので、前線のロシア軍では兵士の死傷が多く, 士気も低かったこれに対処すべく将官が前線に出て直接指揮を執り始めたが、アンテナ・通信機器の近くにいたので場所を特定されやすく, ウクライナ軍に狙い撃ちにされた。それでも将官らは前線に出続けた。2022年4月末には前線をロシア軍参謀本部のメンバーであるゲラシモフが訪問したが、この機密情報がウクライナ側に事前に漏れて訪問予定場所へ攻撃が行われた。ゲラシモフは死傷を免れたものの多数の将兵が死亡し、その後前線へのロシア軍の将官の訪問は無くなった。

 

(5) グダグダな指揮系統

 ロシア軍以外にウクライナ侵攻には以下の組織が参加している

  • ワグネル:料理の仕出し業者として頭角を現したプリゴージンが所有する民間軍事会社ウクライナ侵攻後、刑務所の囚人(殺人犯を含む)から前線に出る戦闘員を募集している
  • 'Russian national guard'(ロシア国家親衛隊):プーチンの元護衛が監督。
  • チェチェン共和国の元首カディロフが所有する部隊。

これらの部隊はロシア軍との連携・協調を欠いており、2022年夏にロシア軍がウクライナ北東部で潰走した際にプリゴージンやカディロフは、それらの軍団・部隊の指揮官を酷く侮辱した。他にも、2022年夏にザポリージャ方面で、口論で激昂したロシア軍戦車部隊の指揮官が、ロシア国家親衛隊の歩兵や検問所を砲撃するという事件が発生している。

 ワグネルは長年にわたりロシア政府との関係が秘匿されてきた存在であったが、2022年夏 - ウクライナ北東部でロシア軍が潰走した時期 - 以降は国営メディア等への露出が増えており、最新式の戦車や戦闘機, ロケットランチャー等を保有していることが映像でも確認されている。ウクライナで戦っているワグネル戦闘員の数は、一説によると約8,000人(2022年10月時点)とされ, 戦死者の大半は刑務所で徴募された戦闘員であった。こうした戦闘員の中にはバフムート(激戦地の一つ)で塹壕の中で何日も食糧・水もなく過ごすなど過酷な環境に置かれる者もおり、実際に脱走した者も居た。プリゴージンは脱走者を「反逆者」と呼び, 『厳罰』に処することを示唆していたが、実際にそうなった戦闘員も確認されている。

 モスクワ南部の刑務所に殺人罪で20年以上服役していた囚人のNuzhinは、戦闘員募集のため刑務所を訪れ, 「ウクライナから生還した者は放免だ」(・「但し脱走者は射殺する」)との演説を聴いて応募し、ウクライナの前線に赴いた。しかし前線に出て2日後に、Nuzhinは脱走しウクライナ軍に投降した。投降後、Nuhinはウクライナのメディアのインタビューに応じ, その一部が放映された。その後Nuzhinは捕虜交換でロシアに戻ったが、暫くしてからSNS上に、彼が残酷な方法で殺害されるビデオが公開され, これについてプリゴージンは「彼は反逆者だ」と述べて殺害を正当化し, ロシア政府のスポークスマンは「我関せず」との声明を出した

 

 だいぶ長くなりましたが、これでも私が「これは重要そうだ」と思った部分を自己流で抜粋・翻訳・要約したものです。この記事を書いた記者らは、おそらく相当量の時間や労力を使って、米国の情報機関やウクライナ当局, 果てはロシア側の内部告発者(や政府関係者)などから情報を集めたのでしょう。実際、記事の中にはウクライナ軍がロシア軍が敗走した跡から回収した文書を参考にしている部分もあります。

2023年、今更だけど新年の抱負を。

 こんばんは。現役救急医です。今年も宜しくお願い申し上げます。昨年末に散々YouTubeやこのブログで愚痴っていましたが、あまり新年を祝う気になりませんでした。大晦日と元旦は非番だったので、ちょっと早い時間帯から酒を飲んで気分を紛らわそうとしていました。まあ、友人や同僚らから、ポジティブな励ましの言葉をLINE等で受け取ったので、少しは前向きな気分になれた訳ですが。

 まあそんな訳で、今年の抱負を幾つかここで宣言してみます。

 

① 今の勤務先のスタッフへの助言・フィードバック等を強化する

 救急専門医は、個々の患者の診療(と本人や家族との意思疎通・合意形成)のみならず, 院内の診療態勢や地域のメディカルコントロールも念頭に置いて働くことが求められています。特に、救急外来や病棟での重症患者診療については助言等を求められる機会は多いです。

 今の勤務先は、予算や人的リソースがキツめの田舎の二次病院です。特に看護師サイドでは「日々の診療の中で教育を行う」的な発想が欠落しがちであり、特に他科の医師は最新のガイドライン等をあまり把握せず, 自分の経験則や直感だけをアテに診療を行ってしまい, 看護師へのフィードバックが中途半端という人がどうしても目立ってしまいます。

 そこへ介入するのが私の役目だと思うのです。看護師へフィードバックを適宜行い, 他科の医師にも色々と助言を行い, 院内勉強会を開催するなど、まだまだ実現すべき課題が山積しています。日常診療だけに終止せず、こうした院内スタッフへの『貢献』を強化したいと思います。

 

② 病院上層部への働きかけを強化する

 昨年末のブログでも愚痴っていた通り、院長・事務長ら病院上層部と看護師ら現場の感覚が乖離しており、現場の危機感・不満・ニーズがなかなか上へ伝わっていないという現実があります。

 現場の努力だけでは、カバーしきれない事態もあります。待遇等への不満があり, 昨今のパンデミックの影響で疲弊してしまうのであれば、『燃え尽き』により離職・退職者が増えるのは時間の問題です。予算や人事等について強力な権限を有する上層部が変わらない限り、現状の抜本的改善はあり得ません。

 もっと院長や事務長らへの提言を増やしたいと思います。また、私一人だけでは効力が乏しいので、医師・看護師・放射線技師・検査技師など、同じ志を持つ仲間と共に事を進めたいですし, 仲間も増やすべく努力します。

 

 すっごい雑な新年の抱負になっていしまいましたが、今後ともどうか宜しくお願い申し上げます。

小泉悠 氏の『ウクライナ戦争』を読んでみた。

 みなさんこんにちは。現役救急医です。ちょっと今日は医療から離れて、最近読んだ本の話をします。今年になってよくテレビに出演されている専門家 小泉悠 氏の著書『ウクライナ戦争』です。この本は2022年12月初頭に発刊されており、結構最近までの戦争の経過をフォローしつつ、プーチンウクライナ侵攻に至った要因を考察したり, ウクライナ侵攻に至る前の時系列も解説していたりと、色々勉強になりました。

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 そこで今日は、この本を通して私が学んだ、ウクライナ侵攻の時系列をざっくりまとめてみました。

(1) ロシアの侵攻開始

 ロシアのウクライナ侵攻は2022年2/24に始まりました。ロシア軍は南部・北部・東部からの侵攻と同時にウクライナ各地の軍事施設へミサイル攻撃を行い, サイバー攻撃で通信網も麻痺させようとしました。またこれらに並行して、ロシア軍はキーウ近郊のアントノウ空港空挺部隊を送り込んでいます。

 なおこの空挺部隊ウクライナ側の抵抗でアントノウ空港制圧に手こずり、その間にウクライナ側が滑走路を破壊した為、重装備を持つ後続部隊を運ぶ輸送機が着陸できなくなりました。他にもロシアは、ウクライナの情報機関や自治体などに内通者を作っていました。そのためか情報機関の幹部が侵攻直後に逃亡してウクライナの一部地域や重要施設の防衛・警備に混乱を生じたり(チョルノービリ原発が占領されたのもこれのせい), 一部自治体の首長がロシア軍の占領に対して『無血開城』したりしていました。このように、ウクライナ側にロシアとの内通者が居たことは事実ですが、開戦劈頭に相次いで逃亡し, そこまで積極的に手引きをしておらず、役に立ったのか微妙だったそうです。

 また、ウクライナの大統領 ウォロディミル・ゼレンスキーは、米国などからの亡命の勧めを却下してキーウに留まり, 自らスマートフォンで撮影したメッセージをネット上に公開して全国民に徹底抗戦を呼びかけるとともに, 政府首脳部が逃げていないことをアピールしました。ロシアにとっては、これが結構ダメージだったようです。

 小泉氏は考察の中で、上記のようなロシアのウクライナ侵攻の流れはソ連時代の周辺諸国への武力介入と同じであると指摘しています。1968年に起きたチェコスロバキアの『プラハの春』(社会主義改革運動)に対する弾圧では、改革を主導したチェコスロバキア共産党第一書記をモスクワに呼び出している間に, ワルシャワ条約機構軍によってチェコスロバキア全土を占領しています。1979年のアフガニスタン侵攻でも、ソ連アフガニスタン側の指導者を暗殺後に軍を大量投入しています。国家元首を叩くと同時に、軍隊を電撃的に送り込む」という流れをウクライナでも実行しようとしたのですが、上記のように、アントノウ空港制圧に手こずった為にキーウ制圧に必要な部隊を送り込めず, ゼレンスキーらもキーウに留まっていたため、「国家元首を叩いて電撃的にウクライナ全土を掌握する」という目論見は崩れてしまったのです。

(2) キーウ陥落せず

 当初NATO/西側諸国は、「ウクライナ軍はロシア軍に圧倒され、組織的抵抗が困難である」・「従って、ゲリラ部隊へと再編されたウクライナ軍の反乱を支援するのが現実的」と考えていたフシがあったようです。実際、ウクライナ側の武器支援の要請に対し、当初米国は携行式の対戦車・地対空ミサイルばかり送っていました。

 それでもウクライナは持ち堪え、開戦後1ヶ月間において北部主要都市を守り切りました。実際、ウクライナの国土面積は日本の1.6倍(約60万㎢)と広い上に, キーウの北方の森林地帯・湿地帯が天然の要害となり, その上ダムを破壊して洪水を起こすことでロシア軍を更に足止めすることができました。また開戦当初のウクライナ側の兵力は、軍以外に内務省管轄の準軍事部隊などを加えると合計30万人であり(その後の徴兵等により更に増加), それに対しロシア軍が当時動員していた兵力は約19万人でした。

 それでもロシア軍が火力の上で優位だったことは否定できません。しかしウクライナ軍は地の利を活かし、ロシア軍の戦車師団を市街地などで待ち伏せし, 歩兵が対戦車ミサイル(一時期話題になった『ジャベリン』など)を撃ち込むことで、ベラルーシからのロシア軍侵攻を足止めしました。その結果、進軍するロシア軍の車列は60 kmにも及ぶ渋滞を作り出すことになりました。またロシアは、この侵攻を『特別軍事作戦』としていたので、戦時体制を適用できず, 従って徴兵制で集めた兵力を投入できませんでした。その上、ロシア軍の航空機は「ロシア-ウクライナ国境からミサイルを撃って帰る」という戦法しかやっておらず(空軍と陸軍の連携が取れていない, 政治的な理由で制約を受けていた, といった理由?), その為ロシアに比べて脆弱なウクライナ空軍は依然戦力を維持しています。

 そうしたグダグダを受けてか、2022年3月末にロシア軍参謀本部は「東部の解放に注力する」と宣言し、約1週間後にロシア軍はウクライナ北部から撤退して行きました。なおウクライナ軍は、そのロシア軍を追撃するだけの余裕がありませんでした。

(3) その後

 上記のような戦局を受けて、NATO側もウクライナ側への支援を拡大する方向に動きました。3/31にロンドンで開催された国際会議では、防空システム, 長距離火砲, 走行車両等の支援することが決定され、これ以降、米国を中心に榴弾砲無人機, 装甲兵員輸送車などがウクライナへ供与されるようになりました。更にその後、ロシア軍が撤退した都市(ブチャなど)で次々とロシア軍による民間人虐殺が明らかになり、国際世論のロシアに対する姿勢は一層厳しくなりました(ウクライナ政府・国内世論については言うまでもないでしょう)。

 ただ、それでもNATO加盟国はウクライナへの戦闘機や高性能戦車, 長距離ミサイルへの供与に及び腰でした。核兵器保有するロシアとの全面戦争を回避したい」との意図があったからです。それでもなお、NATO加盟国などからの軍事支援が決して無意味だったわけでなく、それなりの規模の兵器が供与されており, また4月にはロシア海軍黒海艦隊の旗艦がウクライナ軍の対艦ミサイルにより撃沈されていますが、これは西側諸国の偵察機が収集した情報がウクライナ側に送られたことも要因と言われています。

 そんな中でも、やはりロシア軍の優位は否定できず、4月にはウクライナ南東部の都市マウリポリが陥落します。その際、ロシア軍は住宅地・病院・避難所をを見境なく砲爆撃することで制圧を達成しています(当然、戦争犯罪です)。マウリポリ陥落により、ロシア軍はクリミア半島とドンバス地方(ウクライナ東部)の兵站線を確保できたばかりか, マウリポリ制圧に使用していた兵力を他に転用できるようになりました。ロシア軍はそれ以降、ドンバス地方の重要拠点を次々と占領していき、7/4にはロシア国防相のショイグが「ルハンシク州の完全解放」をプーチンに報告しています。

 しかしロシア軍-政府内部で5月頃から軋轢が生じていたようで、プーチンが前線の司令官に口出ししまくっていた『弊害』が出ていた可能性も指摘されています。実際、ウクライナ侵攻を指揮していた司令官が次々とすげ替えられるなどの混乱が見られていたそうです。そして2022年夏からロシア軍の攻勢は停滞していきます。

 ちょうどその頃(2022年6月)、米国からウクライナ軍へのHIMARSの供与が始まりました(ロシア領への攻撃を避ける為、射程80 km程度の短距離ミサイルしか供与せず)。ウクライナ軍は、民間の衛星画像, スパイ・特殊部隊・現地住民からの報告, 西側からの情報提供でロシア軍の弾薬集積所, 燃料集積所などの位置を特定し、そこへHIMARSから発射したミサイルを撃ち込むことでロシア軍の兵站を圧迫しました。ロシア軍はこうした弾薬等の集積所をHIMARS射程圏外に移動させることで対処しましたが、このため前線への弾薬等の供給に支障が出るようになりました。なおこれでも、西側諸国はまだ超射程ミサイルや戦車, 戦闘機の供与を上記の理由で見送っています。

 7月頃からウクライナ軍は南部のヘルソン州に兵力を集中させ、実際8/9にゼレンスキーがクリミア奪還を示唆したり, その後クリミア半島各地で攻撃が行われたりしており, 8/29にはウクライナ軍がヘルソン州で反抗作戦を開始しました。また、同月からウクライナ軍は米国製のAGM-88高速対電波源ミサイルを使用し始め、これによりロシア軍の防空システムが破壊されたため、ウクライナ側の無人機・偵察機がロシア軍支配地域の後方へ侵入しやすくなる一方, ロシア軍は地上部隊支援のための航空機を動かしにくくなっていました。

 そうして、ロシア側はまだしも国際社会がヘルソンに注目している中、9月にウクライナ軍は北部ハルキウ州で大規模な攻勢を開始し、ロシア軍を短期間で駆逐したのです。ロシア国内で『部分動員』の話が出たり, ロシア軍がヘルソンから撤退したのはこの後の出来事です

 

 今年も残り1日足らずですが…あまり祝う気分になりません。結局、陰鬱な話題ばかりでした(特に医療業界にいると)。日本社会, 国際社会は変われるのでしょうか。2023年にはあまり希望を持てません。