Voice of ER ー若輩救急医の呟きー

日本のどっかに勤務する救急医。医療を始め、国内外の問題につきぼちぼち呟く予定です。

COVID-19 vs トシリツマブ Part 1 -BACC Bay Tocilizumab Trial -

 今日から、自分が読んだ論文の紹介をしてみたいと思います。現在、日本の厚労省, 並びに集中治療医学会の敗血症性ガイドライン(JSCG-2020)で推奨されるCOVID-19の治療薬の一つに、トシリツマブがあります。今回から何回かに分けて、トシリツマブを用いたCOVID-19患者への臨床試験の論文を紹介してみようと思います。

 今回紹介するのは、2020年10/21にNEJMヘ発表された論文"Efficacy of Tocilizumab in Patients Hospitalized with Covid-19"(Stone J.H., Frigault M.J. et al.)です。

 

 

(1) Introduction

 将校性COVID-19患者はインフルエンザ様症状を呈し、その中には低酸素性呼吸不全に陥る患者もいる。この顕著な病勢進行の病体生理学的基礎には、サイトカインリリース症候群に似た重症の炎症性反応があることがevidenceにより示唆されている。このphaseにある患者においては、interleulin-6(IL-6)・フェリチン・CRP増加を含む炎症性マーカーの著明な異常が見られる。血清中の高濃度IL-6は、高度なSARS-CoV-2ウイルス血症, ウイルスRNA sheddingの長期化, 人工呼吸器への病勢進行, 死亡と関連している。こうした知見から、「IL-6受容体の拮抗が炎症cascadeを阻害する可能性がある」との仮説が立てられた。

 Boston Area COVID-19 Consortium(BACC) Bay Tocilizumab Trialは、病期の早期にトシリツマブを投与するランダム化二重盲検化プラセボコントロール研究である。この研究では「早期のIL-6受容体拮抗は、低酸素性呼吸不全or死亡, 臨床的な悪化riskの減少, 酸素使用期間の短縮 を制限する」との仮説を立てた。

 

(2) Method

① Study Design

 上記のように、BACCはランダム化二重盲検化プラセボコントロール研究であり、ボストンにある7箇所の病院で実施された。

 患者は1. 標準治療へトシリツマブを併用する群, もしくは 2. 標準治療へプラセボを併用する群2:1の比率で割り振られた。

② PICO

1. Patient Selection

 以下の条件を満たす患者が"eligible"(=研究へ登録可能)であった。

 1) 19~85歳
 2) 鼻咽頭ぬぐい液へのPCR or 血清IgM抗体assayでSARS-CoV-2感染と診断
 3) 以下の症候のうち、2つ以上に該当

  • 参加登録前72時間以内に>38 ℃の発熱
  • 肺浸潤影
  • SpO2>92 %を維持する為に酸素投与が必要

 4) 検査値で以下のうち1つ以上に該当

 但し、以下の条件に該当する患者は除外された。

 1) 酸素投与量>10 L/min.

 2) 直近の生物学的製剤or小分子免疫抑制療法の既往あり

 3) 研究者が感染リスクを高めると判断したその他の免疫抑制療法を受けている

 4) 憩室炎がある

2. Intervention:  標準治療へトシリツマブ 8mg/kg IV(最大800 mgまで)を併用

3. Comparison:  標準治療へプラセボを併用

4. Outcome:  以下の"primary outcome"と"secondary outcome", "tertiary outcome"によって評価した。

 1) Primary Outcome; トシリツマブorプラセボ投与後の気管挿管(挿管前に死亡した場合、死亡で評価)

 2) Secondary Outcome; 以下のように"first"と"second"に分類される。なお、フォローアップ終了までにevent-freeだった患者のデータは、28 or 29日目に評価された。28日目フォローアップ時に見つからなかった("who could not be reached for 28-day follow-up")患者のデータは、退院時に評価された。

  • First secondary outcome; 臨床的悪化
  • Second secondary outcome; baselineで酸素投与を受けていた患者の酸素中止

 3) Tertiary Outcome; 以下の項目で評価した。

  • その他の時間-イベント("time-to-event")分析に関連したoutcome(e.g. 改善, 退院, もしくは 死亡)
  • 酸素投与や人工呼吸器管理が行われた期間の分析
  • 二重のoutcome(ICUへの入院 or 死亡)

  なお上記2)の『臨床的悪化』を評価するスコアは次のように定義されている。

1点=退院済み, 2点=一般病棟におり、酸素投与を受けていない, 3点=一般病棟におり、酸素投与を受けている, 4点=ICUまたは一般病棟におり、NPPV or 高流量酸素療法を受けている, 5点=ICUで挿管され人工呼吸器管理中, 6点=ICUでECMO or 人工呼吸器管理中で、尚且つ他の臓器補助療法を受けている, 7点=死亡

 なお、このBACCが行われた期間中に、ACTT-1 Trialでレムデジビルの効果が, RECOVERY TrialでTrialでデキサメサゾンの効果が明らかとなった。そのため、BACC参加中の患者の一部ではレムデジビル投与が行われたが、デキサメサゾンは投与されなかったウイルス治療, ヒドロキシクロロキン, グルココルチコイドは付随的治療法として許可されていた。

 

(3) Result

① Randomization

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 2020年4/20~6/15の間に243名の患者が登録され、161名がトシリツマブ群, 81名がプラセボへ振り分けられた(Fig 1)

② Patient Characteristics (Table 1)

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 Modified intention-to-treat populationでは、141名(58%)が男性で, 102名(42%)が女性だった。年齢中央値は59.8歳だった。その他のデータについては以下の通り。

  • BMI: 51%の患者で30以上
  • 併存疾患: 49%が高血圧, 31%が糖尿病
  • 一般病棟に入院し、≦6L/min.の酸素を経鼻カニューレで投与: 194名(80%)
  • 高流量酸素(6<[酸素流量]≦10L/min.)を投与中: 10名(4%)
  • 酸素投与なし: 38名(16%)
  • レムデジビル投与: 77名(トシリツマブ群; 53名[33%], コントロール群; 24名[29%]
  • ヒドロキシクロロキン投与: 9名(トシリツマブ群; 6名[4%], コントロール群; 3名[4%]
  • グルココルチコイド投与: 23名(トシリツマブ群; 18名[11%], コントロール群; 5名[6%]

③ Primary Outcome

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 合計27名(11.2%)が28日以内に気管挿管実施, 或いは 挿管前に死亡した(Table 2)。その内訳は以下の通り:

  • トシリツマブ群; 17名(10.6%)
  • プラセボ群; 10名(12.5%)
  • f:id:VoiceofER:20210503153525j:image

挿管or死亡までの時間のKaplan-Meir曲線をFig. 2Aに示す。また、トシリツマブ群におけるprimary outcomeが起こるhazard ratioは0.83(95%CI 0.38-1.81; P=0.64)であり, 年齢・性別・人種・糖尿病・baselineのIL-6濃度で調整したhazard ratioは0.66(95%CI 0.28-1.52)だった。調整前後でhazard ratioが異なるのは、主にトシリツマブ群で高齢患者の割合が多い為である。

④ Secondary Outcome

 悪化するまでの時間のKaplan-Meier曲線をFig. 2Bに示す。トシリツマブ群における悪化のhazard ratioをプラセボと比較すると1.11(95%CI 0.59-2.10; P=0.73)だった(Table 2)。調整後のhazard ratioは0.88(95%CI 0.45~1.72)だった。

 酸素投与を中止するまでの時間のKaplan-Meir曲線をFig. 2Cに示す。トシリツマブ群における28日目までの酸素中止をプラセボと比較したhazard ratioは0.94(95%CI 0.67-1.30; P=1.30)であった。調整後のhazard ratioは0.95(95%CI 0.67-1.33)であった。

⑤ Tertiary Outcome (Table 2と3)

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 いずれのoutcomeも、治療群間で大差無かった。

  • 改善までの時間の中央値:  トシリツマブ群; 6.0日(95%CI 5.0-6.0), プラセボ群; 5.0日(95%CI 4.0-7.0)
  • 酸素投与期間の中央値:  トシリツマブ群; 4.0日, プラセボ群; 3.9日

また、研究登録時にICUに居なかった患者233名のうち、

  • トシリツマブ群 ICU入室or入室前に死亡は25名(15.9%)
  • プラセボ群:  ICU入室or入室前に死亡は12名(15.8%)

であった。

挿管されていた19名内で、人工呼吸器管理の期間の有意差は無かった(トシリツマブ群の中央値; 15.0日, プラセボ群の中央値; 27.9日)。両群において、退院までの中央値は6.0日だった。

⑥ 患者と治療のsubgroup analyses

 多変量調整モデルにより、以下の結果が明らかになった。

  • >65歳の患者は、より若年の患者よりも気管挿管or死亡への病勢進行のriskが大きい(hazard ratio 3.11; 95%CI 1.36-7.10)
  • BaselineのIL-6血清濃度が>40 pg/mLである患者は、<40 pg/mLの患者と比較し病勢進行しやすい(hazard ratio 3.03; 95%CI 1.34-6.83)

他方、気管挿管or死亡のriskへ影響しないと判明した因子には以下の通りである。

  • 男性:  hazard ratio 1.27; 95%CI 0.57-2.81
  • ヒスパニックor Latino:  hazard ratio 1.16; 95%CI 0.47-2.85
  • 肥満:  hazard ratio 1.32; 95%CI 0.69-3.48
  • レムデジビルによる治療:  hazard ratio 1.95; 95%CI 0.86-4.44

⑦ Safety

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 Table 4にadverse eventを示す。トシリツマブに関して、新たな安全性への警告は出なかった。好中球減少症はトシリツマブ群 22名に対しプラセボ群では1名だった(P=0.002)ものの、重症感染症はトシリツマブ群で少なかった(トシリツマブ 13名[8.1%] vs プラセボ 14名[17.3%]; P=0.03)。トシリツマブ群では、合計28名の患者において26件のserious adverse eventが認められ、そのうち11件はトシリツマブと関連or関連している可能性があると判断された。一方、プラセボ群では合計12名の患者において38件のserious adverse eventが認められ、そのうち3件はプラセボと関連or関連している可能性があると判断された。

 

(4) Disucussion

 これらのデータは、「早期のIL-6受容体拮抗がCOVID-19中等症入院患者に対する効果的な治療法である」という仮説を支持しない。このBACC Trialでは、トシリツマブが 挿管or死亡risk, 病勢悪化, 酸素投与中止までの期間, もしくは いかなるefficacy outcomeに対しても有意に影響していないことが示された。しかしながら、BACC Trialにおける効果比較時の信頼区域は広いので、トシリツマブが一部の患者における利益ないし害となっている可能性を除外できない。

 BACC TrialではCOVID-19の予後不良と高齢の間の関連性は確認されたものの、性別, 肥満, 人種に関して関連性は認めなかった。また、baselineにおける血清IL-6濃度が高い患者が予後不良となる傾向も確認された。BACC Trialでトシリツマブの効果は示されなかったものの、トシリツマブはこの研究のpopulationにおいて、極めて高度な毒性作用("excessive high-grade toxic effect")とは関連していなかった。

 なおBACC Trialのstrengthとweaknessは次の通りである。

Strength

  • 研究登録時は気管挿管されていない入院患者に対する、ランダム化二重盲検化プラセボコントロール試験である。
  • 研究に参加したpopulationは人種的に多様であった。

Weakness

  • "Primary event rate"(気管挿管や, 気管挿管前の死亡)が予想されていたよりも少なく、おそらく本研究の期間中にCOVID-19の標準的治療が変化した(e.g. レミデジビルの承認, 気管挿管の時期を遅らせるmanagementの承認など)ためと思われる。
  • ランダム化にも関わらず、高齢患者の比率が両群間で不均等だった。

 

 他にもCOVID-19患者に対するトシリツマブの臨床研究の論文はあります。時間や労力等の許す限り、本ブログで紹介してみたいと思います。

 

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2014年の弾薬庫爆発はロシア当局の犯行

 今日は海外の調査報道専門サイト'Bellingcat'でまた興味深い記事を発見したので、その内容を紹介します。

 去る2014年10/16午前9時25分、チェコVrbeticeという町で弾薬庫が爆発し、管理を担当していた会社('Imex'という企業)の従業員2名が死亡しました。そして今年の4/17にチェコ当局は、この爆発にロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)の'Unit29155'が関与していたと発表しました。

 今回のBellingcatの記事は、そのUnit29155の構成員, 及び 爆発事故前後の彼らの足取りに関するものです。

www.bellingcat.com

(1) Unit29155とは

 Unit29155は、2019年に英国で起きた元KGB工作員とその娘の毒殺未遂事件, 及び 2015年に起きたブルガリア人武器製造業者毒殺未遂事件の実行犯でもあります。その構成員は以下の通りです。

  • Andrey Averyanov:  この弾薬庫爆発に関する作戦を監督した("supervised")。このチェコの作戦においては"Andrey Overyanov"という偽名を使用しており、通話履歴からGRUのトップ, 及び クレムリン外務大臣のLavrovら)と直接連絡を取っていることが分かっている。
  • Denis Srgeev:  Unit29155の指揮官?("the senior operative")このチェコでの作戦においては"Sergey Fedotov"という偽名を使用。
  • Alexander Mishkin: 英国の事件で英国警察から立件されている。チェコでの作戦における偽名は"Alexander Petrov"。
  • Anatoly Chepiga:  Mishkin同様、英国の事件で英国警察から立件されている。チェコでの作戦における偽名は"Ruslan Boshirov"。
  • Egor Gordienko:  "Georgy Gorshkov"という偽名を使用。
  • Nikolay Yezhov:  偽名は"Nikolay Kononikhin"。
  • Alexey KapinosとEvgeniy Kalinin:  偽名を使用せず、外交封印袋("diplomatic mail")を運ぶ外交官のフリをして入国した。

※外交特権の一つに通信の不可侵が含まれ、外交官が運ぶ外交封印袋や, 民間業者が代行して輸送する外交行嚢は保安検査・税関で開ける必要が無いとされます。

 

(2)事件前後の足取り

 まず2014年の9/25SergeevGordienkoが(偽名を使って)モスクワからジュネーブ(スイス)へ空路で渡航。同日午前に2人はレンタカーを借り、5日後に返却しています。その期間中、Sergeevの携帯電話位置情報は、彼がフランスのChamonixという町(ジュネーブから60kmの距離にあるアルプスのリゾート)に居たことを示していますが、この町はUnit29155の秘密の兵站拠点("hidden logistical base")であることが分かっています。そしてその滞在中、SergeevAveryanovと活発に連絡を取っていました。

 同年10/2、今度はAveryanovがモスクワ発リスボン行きの10/4の航空券を偽名で予約しています。そして10/4にはリスボンジュネーブ行きの飛行機に搭乗し(ジュネーブで部下2名と合流した?)、同6日にモスクワへ帰っています。

 10/7にAveryanovと他のUnit21955メンバー4名はモスクワのGRU本部に立ち寄り、翌週のチェコ行きの航空券を購入しています。各人の予約したフライトは以下の通りです。

  • Averyanov:  10/13のウィーン行きエアロフロートの便, 及び 10/15のモスクワへ帰る便。
  • Yezhov:  10/11のウィーン行きの便, 及び 10/15のモスクワへ帰る便。
  • MishkinChepiga:  10/11のプラハ行きの便。帰りの便は購入していない。
  • KapinosとKalinin:  10/10のブダペスト行きの便, 及び 10/15のモスクワへ帰る便。

 まず10/11にMishkinChepigaプラハに到着し、同日中には問題の弾薬庫まで車で数時間の距離にある町Ostravaへ移動しました。AveryanovYezhov10/13にウィーンへ到着していますが、Averyanovの携帯電話は、それから10/16までの間に数時間しかオーストリアのネットワークに接続していません。Ostravaはウィーンから車で3時間なので、YezhovAveryanovコンビがOstravaまで車で移動して、MishkinChepigaコンビと打ち合わせを行った可能性もあります。

 チェコの警察・メディアの発表によるとMishkinChepigaコンビはタジキスタン人民親衛隊?("People's Guard of Tajikistan)から派遣された武器購入者に成りすました上で、Imex(弾薬庫を管理している企業)に対し、同年10/13~17の間に弾薬庫の立ち入り制限区域へのアクセスを申請していたそうです。Imexによるとこの2名は当日現れなかったそうですが、いずれにせよ上記のように同年10/16朝に弾薬庫は爆発しました。

 その後の各メンバーの帰路は以下のようなものです。

  • MishkinChepiga爆発同日の ウィーン発モスクワ行きの便(午前10時5分に離陸)へ搭乗。
  • Averyanov同日中ウィーンへ車で帰り、空港へ直行。前日のフライトを逃していたものの、同日午後6時17分にウィーン空港で航空券を購入し、同日午後10時46分に同地発モスクワ行きの便に搭乗した。
  • Yezhov:  Averyanovと一緒に車でウィーンへ帰った。その後しばらくオーストリアに滞在し, 10/27~11/2の間に帰りの航空券を複数回仮予約したが、最終的に11/3にモスクワへ空路で帰った。

 なお、Averyanovのような上級指揮官が偽名で旅行することは通常ありません。既述のように、AveryanovはGRU上層部及びクレムリンと連絡を取っていたことが判明しており、この爆発事件の背後にロシア政府の関与があることをうかがわせます。加えて、参加した工作員には後日、秘密裡に勲章を授与されていることから、クレムリンにとってこのチェコにおける作戦がいかに重要であったかが分かります。

 

 米国のCIAをはじめとする西側情報機関や軍も色々と槍玉に上げられていますが(ピッグス湾事件, 中東・ラテンアメリカ諸国への介入, イラク戦争など)、ロシア等の旧東側諸国こそ大概ですね。ロシア当局は、弾薬庫爆発に伴う経済的損失への賠償や, 犠牲者遺族への謝罪・賠償を行う気が果たしてあるのでしょうか?ナワリヌイ氏を殺しかけておきながら犯行を否定して収監したり, 支援するウクライナのドンバス地方の民兵勢力が間違って民間機を撃墜した後に知らんぷりを決め込むぐらいなので、率直なところ、誠実な対応は望めないようにも思われます。

PPE(個人防護具)の話をします。

 久々のブログ更新です。最近、仕事が忙しかったり, 専門医試験の勉強をしていたりと、なかなかブログを更新する余裕がなく、YouTubeの更新こそすれど短時間の動画に限定されがちです。そんな中でも、どうしても伝えたいことがあるのでブログを書きます。

 

(1)個人防護具とは

 我々医療スタッフはCOVID-19患者(疑い例を含めて)を同じ部屋で診療する時、個人防護具(Personal Protective Equipment: PPE)を装着します。PPEは通常、以下の要素から成ります。

  • 防水性キャップ:  患者由来の体液(病原体が含まれている)等が毛髪に付着するのを防ぐ為に装着。
  • ゴーグルorフェイスシールド:  眼やその周囲に体液等が付着するのを防ぐ為に装着。
  • マスク:  サージカルマスク, ないし N95マスク。口腔・鼻腔内に病原体・体液が入らないように, そしてその周囲に体液等が付着しないようにする為に装着。
  • 防水性グローブ:  手指に体液等が付着しないようにする為に装着。
  • 防水性ガウン:  頸部以下を体液等から守る為に装着。

なぜガウン・グローブ等が防水性でなければダメなのかと言いますと、病原体を含む体液が浸透し, その下の衣服や皮膚・粘膜へ接触してしまうからです。

 

(2)N95マスクについて

 COVID-19パンデミックが始まって以来、N95マスクの存在が一般人にもそれなりに知られるようになったかと思われます。ここで改めて、このN95マスクがどのようなものかおさらいしましょう。

'N':  "Not resistant to oil", つまり耐油性が無いという意味

'95':  「0.3 μmの微粒子を95%以上捕集する」という意味

すなわち、「鼻腔・口腔から、0.3 μmサイズの微粒子の大半をシャットアウトできる」ということなのです。言い換えると、それだけ吸い込める空気の量が制限を受けるということです。加えて、N95マスクの場合、隙間から病原体から病原体を含む微粒子が侵入する可能性がある(理由は後述)ので、顔面に密着させないといけません。実際装着して暫く経つと顔が痛くなってきますし, 脱いだ後は痕が残ります。

 この'μm'という単位が持つ意義を理解するには、「飛沫感染」と「空気感染」の違いを把握せねばならないでしょう。それぞれの違いを以下に挙げてみます。

1. 飛沫感染

 患者の咳・くしゃみ・会話等により病原体を含む飛沫が空気中へ飛散し、他の人の粘膜(口・眼・鼻など)に付着することで感染が成立する。飛沫感染の場合、空気中に飛散した粒子のサイズは5 μm以上と大きめであるので、1~2m程度で地面へ落下する。サージカルマスクを装着することで、このサイズの粒子の口腔・鼻腔内への吸入を防ぐことは可能とされる。インフルエンザウイルスや風疹等の多くの呼吸器感染症の病原体がこの感染経路である。

2. 空気感染

 飛沫感染に同じく患者の咳・会話等によって病原体が飛沫と一緒に飛散するが、飛沫の水分が蒸発した5 μm以下の粒子となって空気中を浮遊し続け、これを吸引等することで感染が成立する。5 μm以下の粒子は長時間空気中を浮遊可能なので、患者を収容する時には、陰圧管理した部屋を使用する等して空気が外へ漏れないようにしなければならない。またこの粒子サイズはサージカルマスクではシャットアウトできないので、N95が必要となる。

 ※: なお1., 2.いずれの場合でも、患者側にはサージカルマスクを付けてもらいます。サージカルマスクには飛沫が口などから飛ぶのを防ぐ効果がありますし, 患者の中には心臓や呼吸器系の基礎疾患を持つ人も居るので、そうゆう人たちへ、既述のような息苦しいN95マスクを装着させる訳にはいきません。

 

(3) PPEを装着した感想など

 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の場合、多くの場合は飛沫感染ですが、空気感染のリスクも指摘されていますし、ましてやCOVID-19の特効薬は依然存在せず, インフルエンザと比べると重症化・死亡のリスクは高いのです。従ってCOVID-19患者を診療する場合、我々医療スタッフは上述のような防水性キャップ・ガウン・グローブとフェイスシールド/ゴーグル, N95マスクを付けて防護をせねばなりません。しかも、ここまでCOVID-19が広まってしまった現状では、特に救急搬送された患者に対して「SARS-CoV-2に感染している」可能性を常に頭に置いて診療に当たらねばなりません。つまり、N95を含めたPPEを装着する回数・時間とも明らかに増え続けているのです。

 既に述べたように、N95は吸い込める空気の量が制限されるので息苦しいのです。それに加えて、キャップ・ガウン・フェイスシールド・グローブを付けていると熱が篭りやすく, 汗も蒸発しにくくジメジメするのです。そして特に患者状態が不安定な場合、医療スタッフ側もアドレナリンが出るので尚更体温が上がって発汗し, 酸素需要も増加します。このザマでパフォーマンスを維持できると思いますか?私の場合、比較的短時間で頭がボーっとして思考が緩慢になってしまいます。ひどい時には、部屋を出てPPEを脱いだ後でも頭痛が長引いて気分が優れず, 仕事を早退したことすらあります。特にこれといった基礎疾患のない30代の私がこのザマなので、妊娠中のスタッフや循環器系・呼吸器系等に基礎疾患のあるスタッフには到底無理です。

 医療スタッフはこのような身体的なストレスに加え、重症患者に向き合うことに伴う精神的なストレスを受け続けているのです。我々医療スタッフとて人間なので、一旦心身が破綻してしまえば離職, ないし 休職します。ただでさえCOVID-19で病床占有率が逼迫しているのに、医療スタッフが居なくなれば…もう言うまでも無いですよね?

 

(4) 最後に

 COVID-19患者とその家族の苦痛・不安は、私の想像を超えるものと認めざるを得ません。「飲み会も旅行も帰省もランチも全部お預け」が辛いのはよく分かります。そして、仕事をテレワーク化するのに二の足・三の足を踏む人が多いことも知っています。でも、「一つの空間に多人数が集まって騒いだり, ああだこうだと話し合うだけで、SARS-CoV-2を人にうつしたり, 逆に人からもらう危険性がある」ということを今一度ご理解下さい。そして、現状の日本ではCOVID-19患者数増加に伴って逼迫しているのは病床数だけでなく、我々医療スタッフ(=労働者・人間)も逼迫し疲弊しているという事実を深刻に受け止めて下さい。あと政府・自治体にも色々と文句を付けたいのですが、長くなるのでここらへんでやめておきます。それではまた。

【中央官庁と国会・全有権者・河野行革相に届け】ハンコレス・ペーパーレス化はまだ先ですか?

 こんばんは。先日ちょっとイラっとした事があったので、それに対する私の問題意識みたいなモノをシェアする為にブログを書きます。

 今年4月から私は医局人事で大学病院を離れ、市中病院に赴任した訳ですが、その手続きの際に結構な量の書類を書く羽目になりました。国公立大学附属病院を離れて私立の病院に行くので、保険も政府管掌のものから国民健康保険に移行します。自家用車で通勤するのですが、車検証や車の保険証書, 運転免許証のコピーも求められます。他に、医師免許証や保険医登録票, 住民票といった諸々の書類を提示せねばなりません。他にも手書きの書面が何枚もあり、それぞれ複数箇所にボールペンで記入したり, 印鑑をついて回らないといけません。そして提出する公的な証明書の中には当然ながら、平日日中に役所等の窓口へ, これまた印鑑だの身分証明証だのを持って行かないと発行できないものが多くあります。

 余りにも煩雑過ぎではありませんか?私は途中からイライラし始めました。ましてや、印鑑なんて科学技術が発展した今日では、3Dプリンターみたいなもので容易に偽造出来てしまい, 個人認証的なものに実質用途を成さないのではないでしょうか?

youtu.be

  最近、河野太郎行革相が「脱ハンコ」や「ペーパーレス化, FAX廃止」等を唱えており, 中央官庁から始めるつもりのようですが、是非医療現場や地方自治体, そして民間企業でもそうなるようにして頂きたいものです。

news.tv-asahi.co.jp

 社会保障, 戸籍・住民票等の様々な役所手続きのオンライン化については、「個人情報保護の観点で反対だ」といった意見や, 逆に「プライバシーを理由に反対し続けている人が居るからなかなか実現出来ないんだ」といった意見をTwitter上などで時折見かけますが、そもそもあらゆる技術にリスクが付き物であり、それを克服したことで私達は今日の文化的な生活を実現してきた訳です。

 体に着火したら火傷をしますし, 火災は広範囲を焼く場合もザラではありません。それでも人類はその火を用いて肉や根菜類等を焼く・煮ることで消化し易くし, それによって食物消化・吸収以外の要素(脳の発達など)に時間とエネルギーを割けるようになったのです。石炭で動く蒸気機関は活気的な発明でしたが、エネルギー効率で勝るガソリンエンジンに取って変わられました。両者ともモノを燃やすので二酸化炭素と粉塵・有毒ガスを排出しますが、粉塵・有毒ガスについては蒸気機関の衰退や, ガソリン車等の排ガス浄化機構の発達により軽減が可能となりました。二酸化炭素排出についても、20世紀末からの燃料電池とのハイブリッド機関が登場し, 今日に至るまで普及や改良を重ねているので、今後も状況が変わっていくでしょう。

 雑多な役所手続きをデジタル技術により一本化・オンライン化する事には確かにリスクを伴います。職業倫理をわきまえない職員が勝手に覗き見るか流出させたり, 悪質なハッカーが巧妙な手口で不正アクセスして情報を窃取したりという不祥事は、官公庁のみならず民間企業でも現に起こっています。しかし、そうゆうリスクは(0には出来なくとも)軽減は出来ます。企業ないし国がちゃんと金を出せばセキュリティの専門家を十分な数雇える(or育成出来る)し, 待遇が良ければ職員は真面目に働くでしょうし, 必要な設備も購入出来る筈です。逆に言えば、国や企業のトップが「予算が、財政健全化が」だのとテキトーな理由を付けて投資を拒んでいる限りは、何も実現出来ないのです。

 「予算/投資が無い所には改善なし」 - この事実を、今一度、企業トップや官公庁, 国会議員や首相官邸の皆様のみならず、有権者全員に理解して頂きたいものです。

 

追伸: 新型コロナウイルスワクチンの医療従事者優先接種を2回とも終えました。接種後の副作用の経験談や作用機序等について解説した動画を作成しているので是非ご覧下さい。なお作用機序については、一般の方に理解し易くなることを意識して簡略化してあります。

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